ドラッグってやったことありますか?

Blue あなたとわたしの本 244

 

 

「智(とも)さん、ドラッグってやったことありますか?」

 生きているといろんなことを聞かれることもあるようで、初対面の人にそんなことを尋ねられました。去年の12月の話です。

 別にその人は「ヤクの売人」であるとか、「筋金入りのジャンキー」だとかそんなことはなく、グラフィックデザイナーをされている方です。まだ二十代の後半。デザイナーだけで生活されています。若いのに大したものだなぁと思いました。 まぁ僕は、たいていの人を見て、「大したものだなぁ」と感心するほうなのですが。なんて言うかさ、ほとんどの人の〝成功の定義〟って高すぎるような気もするのですよ。「こうなったら成功」って考えてる〝基準〟が 。社会的地位はこう、年収はこう、とかね。 法も犯さず、人をいじめることもなく、自活されているのなら、その人はもう成功者ですよ。成功者ですとも。立派だと思うなぁ。まぁ、このことを詳しく話しだすと今回の「Blue〜」からは逸れてしまうので、また別の「Blue〜」を一本立てて詳述しますわ。あなたはすでに成功者なんだよって、言いたい。

 そのグラフィックデザイナーの方なんですけどね、その方も法を犯さず、ドラッグ等もやっておられません。やったこともないそうです。ですが、そういったものを使ったら、なにかとんでもないアイディアやイメージが浮かんでくるんじゃないかと、興味はなくはないんだって。「でも手は出しませんけどね」と笑われていました。「手を出すんじゃないよ」と僕も釘をさしておきました。

 だってさ、なんて言うかさ、スゴいアイディアやイメージが欲しいためにクスリに手を出すっていうのはさ、〝素人の発想〟なんです、僕の感覚だと。自力で脳内麻薬くらい出せよって。すぐに出せるのが〝プロ〟です。〝プロの狂人〟です。僕なんて2、3秒でラリれますからね。天然のエライのが脳内から出てきます。トリップできます。でもこの国ではね── と言うかどこの国でもそうだと思うんだけど── 「あ! おまえ! 自力で脳内麻薬を出してヘベレケになってやがるな! 逮捕する!」とはならんのですよ。完全犯罪なんです。いや犯罪じゃないんだってば。体にも悪くありません。体に悪いことは僕、しないんです。ドラッグどころか、タバコも吸わなければお酒も飲みません。ありえないです。豆乳に青汁の粉末を混ぜて飲んでいます。脳の劣化が早まるようなことはしません。なぜなら僕の脳の劣化が早まったら、人類にとっての損失だからです。

「やっぱりだ。こいつは傲慢なヤツだと前々から思っていたが、とうとう正体を現しやがった。なんて思い上がった野郎なんだ!」と叫ばれた方もいらっしゃるかもしれません。いらっしゃらなかったかもしれません。どちらにせよ、ちょっと聞いてくださいな。 自分の体や、脳を大切にすることは、決して思い上がったことではないのです。逆なんです。自分の体や脳、精神を健全に保とうとしない人こそ思い上がっているんです。傲慢な行為と言えるのです。

 昔、テレビドラマを見ていたときのことだったんですけど、男子中学生がシンナーを吸ってて大人に注意されて、「うるせー! 俺の体を俺がどうしようと俺の勝手だろ!」みたいなことをほざいてたんです。いやいや、〝俺の勝手〟じゃないっし。「あたしの体をあたしがどうしようとあたしの勝手でしょう!」、いやいや、あなたの体は僕のものでもあるっし。女性にでも「あなたの体は僕のものでもあります」なんて言っちゃダメですよ、男性の方。誤解されます。セクハラになります。

 僕が言いたいのは── つまり、「あぁ、あの俳優さんがクスリなんかに手を出さなければ、すばらしい演技を僕たちはもっと楽しむことができたのに」って思ったこと、ないですか? 「あぁ、あのヴォーカリストがドラッグなんかに手を出さなければ、あの豊かな声量が今も保たれていたんじゃないだろうか?」って、残念に思ったこと、あるでしょ? ほんと残念ですよ。憤りすら覚えます。裏切られたような気持ちにもなります。あなたのその素晴らしい才能はあなただけのものじゃないんだよって。勇気をもらってた僕のものでもあったんだよって、みんなのものだったんだよって、言いたいよ。勝手なことを、素人みたいなことをすんなよって。自力でスゴいアイディアやイメージを降ろしてくるのが〝プロ〟だろ、〝プロの狂人〟だろ、〝アーティスト〟じゃねえかって、言いたいです。

 だから僕は、体をいたわり、脳を大事にし、心にも美しいものを与え、自分自身を大切にしたいのです。50歳を過ぎた今も社会的には僕は何者でもないけど、でも、だからこそ、自分を認めるんです。信じるんです。好きなことを、楽しいと思えることを、興味の尽きないことを、飽きないことを、やる。 人に喜んでもらえる何かがきっと自分にはできるはずだと── いまだ開花していない才能を、技術を、磨きつづけてる。

 いま、ドラック的なものに手を出しそうになっている人がもしいたとして、そういう人に、「法で禁じられているでしょ」とか、「体がむしばまれますよ」って、ありきたりなことを言ったって届かないような気もするのです。だから、僕はこう言いたい。「そんな〝素人〟みたいなことすんなよ」と。「自力でスゴいものを作ってくれ、見せてくれ」。「あなたのその才能は、可能性は、みんなのものなんだよ。人類の宝なんだぜ」って、叫びたい。「好き」、の中には途轍もないエネルギーが渦巻いてる。そこで思う存分トリップしよう。楽しく努力をつづけよう。力強く、ユニークで、美しいものを生み出そう。宇宙の隅から隅まで探しても、あなたの代わりになる人なんていないんだからさ。その才能を、唯一無二の個性を、命を、── この世界で炸裂させてくれ。あなたでなければできないことがあるんです。それでみんなを楽しませてください。その光で闇を薄めてください。消してください。

 僕も、反則じゃないかってブーイングを浴びるほど長生きし、特性を磨き、やりたいことをやりつづけたいと思う。才能がない、なんてたとえ言われても気にすんな! 僕はあなたの何倍も何倍も言われてるぞ! 自分がこれから作り出すものがそれでもけっこう楽しみなんだ。自分が自分でありつづけてることを喜ばしく思ってる。わずか数十年の人生の中で、「好き」を探し出せた人たちがどれほど尊いことか。ピークはまだまだこの先に待ってるんだぜ!

 そんな訳で── 青汁を溶かした豆乳を飲みながら、今日も文章を書いています。言語を楽しんでいます。 詩を、エッセイを、小説を紡いでる。そう!

 あなたとわたしを天までトリップさせる日を信じてな!!

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もっとフィクションを! 僕たちには〝ウソ〟が必要なんだよ。

Blue あなたとわたしの本  243

 

 

 けっこう浮世離れした生き方をしている人間だから、「現実的になれ!」、「おまえは社会を分かっていない!」、みたいなことをずいぶんと言われてきた。まぁ、大して分かりたいとも思わないんだけどね。とくに「社会」なんてものは。あっち向いてこっち向いてるあいだに様変わりしてしまうものでもあるし。「現実」、なんてものはそもそも誰も知らないし。 なに? 「現実」って?  じつは誰も知らないってことを知らない人間がいるだけでしょ、って。 ── だから大切なことは、どこだか分からないココで、どうやって可能なかぎりラクに、楽しく生きていくかってこと。僕にとってはね。関心のあるのは、そこ。

 昔からフィクションが好きだった。マンガから始まって、映画、小説、演劇、どれも好き。もちろん音楽も。プロレスも好きだよ。合気道や空手をかじったことがあるから、プロレスがリアルファイトじゃないってことはけっこう早くから気づいてた。そこがいいんだよ。だから深いんだよ。「あんなの八百長だ!」って言う友だちとかいたじゃない? プロレスが八百長なら映画も演劇も八百長じゃねえか、って思ってたな。フィクションだから面白いんじゃん、って。

「Yahoo! ニュース」とか見てても気持ち、弾まないでしょ? どっかでジャンクションが切り替わって、パラレルワールドに迷い込んじまったんじゃないかって思うよ。隣のレール上にまだ、平凡で穏やかな、懐かしいあの日常があるんじゃないかってさ。パンデミックなんてものは、パニック映画のなかだけにしてほしいよね、ほんと。

 映画だったらさ、だいたい1時間を過ぎたあたりにさ、「最大の試練」っていうのが待ち受けてるわけですよ。そこで主人公がどん底を味わう。死にそうになる。でもなんとかそこを乗り越え、何がしかの「報酬」を手にするの。新しい武器とか、物理的なものだったりもするんだけど、人間としての深み、だったりもする。他者への愛情や理解、とかね。つまりはバージョンアップする。新しい人物に生まれ変わるわけです。 さらなるクライマックスがこのあとにあり、それをもくぐり抜ける。これを「復活」と言ったりもするよね。それらの冒険によって身につけた、を持って日常へ「帰還」するわけです。より成熟した人間として生き続けるわけ。これが物語の基本構造。とくにヒーロー物のね。 フィクションっていいよね。やさしいよね。「最大の試練」、で押し寄せる巨大な圧縮機で主人公がぺしゃんこになったところでエンドマークなんて出ないもの。「どないなっとんねん?!」って映画館でみんな叫んじゃうよ、そんなんなったら。

 このブログを始めて1、2年経ったときにね、匿名の方からコメントをいただいたんです。「このブログは偽善だ! 綺麗ごとばかりだ!」って。── 偽善なんです。綺麗ごとなんです。 生きることの苦しみや、親への呪詛、生まれてきたことへの嘆きを、生涯書き続けた作家も確かにいます。それはそれでいいと思う。いいと思うと言うか── よく分かる。共感すらする。生まれてくるということは、とてつもなく苦しく、大変なことだから。 自分の子どもをこの世界に誕生させるという決断さえ、僕はできなかった人間です。変な言い方をすれば、〝究極の過保護〟。ココに放り込むことをかわいそうだと想う気持ちを払拭できなかったわけですから。少なくとも、楽観論者ではない、僕は。 ネガティブに傾きやすいし、考えすぎるし、時に地の底まで、落ち込む。そんな自分を、なんとか持ちこたえさせてくれたのは、いつも、フィクションでした。今もそう。映画や文学、音楽・写真・絵画。それら表現・芸術があったから生きてこられたし、今も生きているんです。

 僕たちには〝フェイク〟が必要なのです。でも100パーセントの偽善・綺麗ごとでは、大した力は持たない。 不平・不満、怒り、それをそのままブチまけるのも美しくない。芸がない。 虚偽と真実のあわいにある、純度の高い、〝本物の〟「フィクション」が、人の心を打つのだと思う。そういった作品を、僕も目指したい。作りたいし、残したい。

 僕たちはいま、ある意味、「最大の試練」にさしかかっているのかもしれないなぁ。そうであるならば、この先には「報酬」があって、劇的なクライマックスがあって、「復活」があって、「帰還」があるわけです。そう「帰還」が。より成熟した僕たちになって、日常への「帰還」が。

 現実はフィクションじゃないって? さぁ、それはどうかな。現実、がなんなのかなんて、誰も知らないんじゃないのかなぁ。 なんにせよ、あなたとわたしの物語はまだ続いています。 共に乗り越え、「帰還」しましょう。より強く、優しくなった僕たちで。  フィクションのある日常へ。 必ず、「帰還」しましょう。そして、そう、まだまだ僕たちは、ココで映画を、文学を、音楽を、あらゆる表現・芸術を楽しみたいのです。それらは〝人間が〟作るんです。本物の「フィクション」を残せるよう、僕も努力を続けます。それが僕にとって、子孫を残せなかった罪滅ぼしであると同時に、〝楽しく生きていく〟と、イコールでもあるから。そうなのです、そう! 

 もっとフィクションを!

 僕たちにはフィクションが必要なんだよ!!

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なぜかしら惹かれ続けるそのことを信じよう。そして、だから、去年の元旦と同じ言葉で新年を始めたいと思う。

Blue あなたとわたしの本 242

 

 

 あけましておめでとうございます。 去年は大変な一年で、ある意味世界は変わってしまったけれど、変わらないこともあるなってことに気づいたんです。それは僕が、本を好きだっていうこと。文章を書くのが好きだってこと。それをあなたに読んでもらうのが好きだ、ということです。

 あなたにも、ずっと変わらない好きなことがあるのではないですか? 世界がどれほど激変しようとも、なぜかしら惹かれ続けることが。 だから、それを信じるしかないと思うのです。理屈とかを超越したことじゃないですか? どうしてあなたは〝あれ〟ではなく、〝それ〟に惹かれ続けるの?  

 僕も、物を書くことへの情熱はさらに燃え上がっています。瞬間・瞬間 に爆発したいのです。「好き」とともに生き、「好き」とともに爆死するしかないよ。それでいいと思う。そうありたいと願う。なぜかしら惹かれ続けること── 人でも、物でも、行為でも── それ以上に、信じられることってないなって、去年をサバイブしながら、改めて、思った。

 たとえば子どものころ、こういう生き方が正しいんだ、って大人に言われてたことで、今となっては〝迷信〟だったな、って思うこと、けっこうあるよ。「いい大学を出て、いい会社に入ったら一生安泰なんだぞ」とかさ。言われたなぁ。「いい大学」ってどんな大学だよ? 「安泰」ってつまりはどういうこと? そんなものと、心の底から湧き上がってくる歓喜、平安とは、必ずしもイコールではないんじゃないの?  って、自問できた十代の自分を、褒めてやりたい。 まぁ── かなりけったいな大人になっちまったことは認めるけど。

 なぜかしら惹かれ続けることに信を置いて生きていると、少しずつ、少しずつ、自他に優しくなってきているような気はするんだ。誰かが夢を持ってたり、新しいことを始めたりしているのを見ると、「うまくいくといいな」って自然と思える。その人の心に、ほんの少しでも、ぽっ、と喜びの火をさらに灯せたらと── こんなことしちゃおっかな、とかさ── 思って、お節介なことを、しちゃったりなんかも、する。その人が喜んでくれたらシンプルに嬉しいんだよ。別に僕が「人格者」だからとかってそういうのでもないように思う。なぜかしら惹かれ続けることを自分でもしてるから── そういうなんか── 〝スペース〟みたいなものが余ってるんじゃないかって分析してる。うん、優しくする〝余剰〟がまだあるんだ。

 若い人が夢を語ってるのに、「現実的になれ! そんなに甘いものじゃないぞ!」って言う大人はいつの時代でもいるんだけど、そういう人って、自分の内なる声とかをどっかの地点で捨ててしまったんだと思うよ。だから夢を持ち続けてる人が怖いんだ。脅威なんだろうな。潰してしまいたくなるんだよ。潰してしまわないと自分の本心と向き合わざるを得なくなっちゃうから。 余剰、がないんだろうな。そういう人たちももちろん懸命に生きてるし、夢を持ってる人を見ると焦ったり、苛立ったりする気持ちもわかるんだけど── 今からでも遅くはないから── 自分のやりたいことを、ちょっとでも生活のなかに取り入れてほしいなって、気はする。他人には秘密にしてたって別にいいわけだしさ。 ぶざまでもいいから、自分のフォームで、進みたい方向へ、「好き」を抱きしめて、ペダルを漕ぎ続けることで、〝いま〟が充実するんじゃないかって、 思うなぁ。少なくとも退屈はしないよね。

 まぁ、そんな感じで、今年も生きていこうと思っています。いろいろやりたいことが僕ももちろんあって、進めてもいるから、ブログの更新は頻繁にはできないかもしれないんだけど、また遊びに来てもらえると、ほんと嬉しいです。「Blue あなたとわたしの本」のない日常よりかは、「Blue あなたとわたしの本」がある日常のほうが、〝数ミリ〟は楽しいんじゃないかって、思うよ。「Blue〜」は今年あたりから、さらに面白くなっていくんじゃないかって気もしてるし。読者登録をして、待つともなく待っていてもらえたら、幸せです。

 

 今年も、なぜかしら惹かれ続ける その人を、物を、行為を、信じよう。この世界は人間だけのものではないけれど、人間として生まれてきたんだから、僕は人間を信じる。人間であることを信じる。人の温かさや純粋さ、可能性を信じているんだ。

 良い一年にしましょう。だからこの文章も、去年と同じあの言葉で締めたいと思う。同じフレーズで新年を始めたいと思う。祈りを込めて。決意を固めて。

 今年も、よろしくお願いします! なぜかしら惹かれ続けることを信じて、生きていきましょう!

 

素晴らしき2021年に

ようこそ!!

 

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人生に「スリーノックダウン制」はない

Blue あなたとわたしの本 241

 

 

 夢を追い続ける、ってことはさ、

 別にスゴいことでもなんでもなくって、僕たちの場合、

「まとも」と呼ばれる生き方に、どうしても

 馴染み切れないから、

 違和感を覚えるから、

 身も心も神経も〝もたない〟から── 

 むなしく感じたりなんかもしてしまうから── 

 なんとか自分を助けるために、

 自らの命を救うために、

 居場所を手に入れようと、

 自分にとっての現実=夢、を掴もうと、

 がんばってるところはあると思うよ。

「叶ったらいいな」じゃなくて、

 叶わなかったら死ぬしかないっていうかさぁ。

 でも死ぬ気はないっていうさぁ。

 自分の居場所に、

 24時間 居たいんだよなぁ。

 あぁ、ここが自分の居場所なんだ、って

 心から思えるその場所に── 。だから、

 挑戦し続けるしか道はないわけです。

 夢、を、現実、に

 シフトさせるまで。

 そう、

 すべての夢を、さ。

 

「智(とも)さん、夢っていつまで追っててもいいものなんでしょう?」って聞かれたことがあるんだけど、いつまでって─── 

いつまででも に決まってんじゃん」って 答えるしかないわけですよ。

 この世を去る最後の瞬間まで夢を追い続ければいい。

 自分の居場所だ、という感覚が突き上げてくるその場所で── たとえそれが、1日数時間しか今は居られなかったとしても── そこで、胸を張って、

 自分の夢を生きればいい。

 夢、という、自分にとっての

 最上のリアリティを、

 生きる。

 現実、を、夢、で、

 塗りつぶしてしまうまで。

 

 人生っていうのはさ、

 敗者復活戦が無制限に許されているんです。

 何度ぶっ倒されてもいいの。

 そのたびに立ち上がればいいんだから。

「起き上がり小法師」のように

 僕も起き上がり続けるよ。

 だから無敵なの。だって

 倒されても倒されても起き上がる、って決めてる人間を、

 いったい誰が倒せる?

 不可能なんです。

 スリーノックダウン制もないですから人生には。

 そのへんは甘々なの。

「人生でございます」なんていかめしい顔してるけど。

 甘々なの、ルールは。 

 だから、

 何度倒されても自分は立ち上がる、って決めちまえばいいだけの話。

「夢っていつまで追っててもいいものなんでしょう?」なんて考えてるから

 つらくなってくるんだってば。

 わずか数十年の〝持ち時間〟しかないのにさ。

 1000年くらい生きる気なんですか? って逆に聞きたくなるよ。

 すべての夢、を、

 現実、に変えるために、

 そう、

 挑戦し続けるんだ。

 
 一歩一歩、

 ひとつひとつ、

 どうなるか見てみるんだよ。

 やってみて、どうなるか見てみるの。

 結果をコントロールしようとしすぎてもいけないぜ。

 肩に力が入っちゃうからさ。

 下手すれば足も止まっちゃう。

 やって結果を見て、

 やって結果を見て、

 やって結果を見るの。

 それが駄目ならこっちがあるさ、って、

 またやって、

 何度でもやって、

 結果を見るんだ。

 やってみて、その結果を、

 心で、体で、五感で

 感じるんです。

 むちゃくちゃリアルな ゲームみたいなもんなんだよ。

 敗者復活戦が無制限に許されてるゲーム。

 スリーノックダウン制もないゲーム。

 第六感も手助けしてくれるゲーム。

 そうやって夢を現実に変えていく過程で、

 喜んだり、悲しんだり、

 跳ね上がりたいくらい胸が踊ったり、

 歯ぎしりしたり、

 ビビったり、

 みじめに思えたり、

 自分の心の冷たさにゾッとしたり、

 嫉妬したり、憧れたり、

 絶望に表情が消えちまったり、

 火のような情熱が湧き上がってきたり、

 こうべを反らせるほど笑ったり、

 人を喜ばせたいと切に願ったり、

 そしてまたちょっぴり、

 涙をこぼしたりして─── 

 少しずつ、少しずつ、

 自他に優しくなっていくゲームです。

 自分の夢に正直になることによって、人は、

 良くも悪くも深々と、

 傷ついたり、傷つけたり、

 許したり、許されたりしながら、

 自分も他人も寛容な目で、

 いつしか見られるようになっていく。

 心の声に誠実であることは、正しいんですよ。

 やましくなんて感じることはないの。

 最もきびしい生き方でもあるんだ。

 ── そう、

 だから、この、

 究極のゲームを楽しもう。

 このゲームを信頼するんです。

 このゲームに成長させてもらうんだ。

 しぼんでる場合じゃないよ。

 闇ばかりに焦点を当てちゃダメだ。

 暗闇しかないようにどれほど思えたとしても、

 ひかり射す展開がこの先に待ってる。

 まだまだ続くんだからさ。

 まだまだ続くんです。

 自らが光明なんだ。

 あなたとわたしの「人生ゲーム」、

 盛り上がってくんのはこれからなんだぜ 。

 クライマックスはこの先に待ってるんだぜ。

 人生に「スリーノックダウン制」はない。

 だから、

 そう、

 新しい まなざしで生きるんだ。

 

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あなたがいちばん慰めてほしいとき、

Blue あなたとわたしの本 240

 

 

あなたがいちばん

慰めてほしいとき、

人って

言葉をかけてくれないでしょ?

 

こんなときくらい

何か言ってくれてもいいじゃないかと

さすがのあなたも、思う。

 

でもね、

優しさとか

思いやりって、

けっきょくは、

想像力なんです。

根本である

想像力が働かないと

人の傷みってリアルに

わからないの。

まずは、それがひとつ。


大半の人は、あなたほど、

想像力に恵まれていない、ってこと。

 

ふたつ目は、

あなたほど、人は、

気持ちを言語化できないんです。

よって当然、

言葉にして伝えることも、不得意。


そういうわけで── 

あなたが慰めの言葉を

珍しく求めているときでも、

身近な人は、

的確な言葉を与えてくれないかもしれないけど── 

大目に見てあげてください。

 

大半の人は、あなたほど想像力に恵まれていない。


あなたほど人は、気持ちを言語化できない。

 

このふたつを意識にのぼらせるだけで、

何百分の一かは、

感情が静まるんじゃないかと思うよ。

何か言葉をかけてくれてもいいじゃないかと、

思える日はね。

 

それでもあなたはこれからも、

孤高、を生きることには変わりはない。

あなたがあなたであるその無慈悲なまでに

繊細すぎる感受性は、

必然・必要・ベストな

意味のある

特性なんだ。

 

それゆえ、

あなたの心の底まで染み入るような言葉を、

かけてもらえる日もきっと来るだろう。そう、

誰かから。

書物から。

さまざまな芸術から。

 

だから、

希望も

絶望もなく、

淡々と、

自分自身を生きればいい。

自分自身を生きよう。

 

意味に満ち溢れた、

残酷で、

美しい、そして

掛け替えのない、

あなたのその特性を。

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人が生まれてくる意味を400字でまとめてみた。

Blue あなたとわたしの本 239

 

例えば

あなたが壁画を描いていたとする。

長編小説でもいい。

完成まで

長い時間がかかる。

一日が終わり、

朝が来る。

何度も。

そう、何度も。

 

 一日が終わるたび、

 少しずつ、それは進む。

 ── 今日は眠るとしよう。

 翌日、あなたは目を覚ます。

 さぁ、やろう。

 続きをやろう。

 自分は、やり遂げるんだ。

 

  そして、また日が暮れる。

  制作と並行して、

  そのことの勉強にも

  あなたは余念がない

  理解は深まっている。

  技術も増している。

  一日が終わる。

  また明日だ。

  今日も、

  自分は向上した。

 

   翌日も目を覚ます。

   さぁ、やろう。

   新たな理解、

   技術を持って始めよう。

   それらを使って、

   進めるんだ。

   続きをやるんだ。

   やり遂げるために。

   さぁ、やろう。

   続きをやろう。

   自分は、

   続きをやりたいんだ

 

    夜が来る。

    そして、

    朝が来る。

    続きをやる、

    完成を目指す、

    あなたが望んだ

     朝が、

     一日が、

     一生が、

     再び、

     始まったのだ。

 

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最も明るい真夜中を歩く

Blue あなたとわたしの本 238

 

 

真夜中、

一人で散歩をするのが好きだ。

何時間も歩く。

足を交互に出すにしたがい、

そのまま

昇っていくような、

陶酔にも似た、

自由を感じる。

これ以上ないほど

一人になれる。

 

いや、違うな。

一人にはなれるのだが、

星々を散りばめた

夜空そのものに抱かれているような、

星空そのものを抱いているような、

不思議な

一体感も

覚えるんだ。

 

夜を

移動しながら、

あなたのことも想う。

同時代を生きる、

あらゆるの人のことを想う。

バラバラでいながら、

ひとつに繋がっているような、

もともとひとつだったような、

切なくも

温かい、

神秘的な感銘だ。

いまも

結びついているような。

照らし合っているような。

 

そう、

僕たちはきっと、

光を放つ

鎖のように

繋がっている。

生者とも、

死者とも、

大いなる何かとも。

僕は、

そんな、

すべてとひとつになって、

すべてとひとつになったそのひとつの輪として、

そしてやはり

繋がったひとつの円環として、

夜を歩いている。

とても明るい真夜中を。

最も明るい真夜中を歩いているんだ。

 


だからちっとも、

寂しくはないのです

 

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僕が「新京極を歩く」を書いたのは2019年の6月だったんですね。
このときはパンデミックになるなんて夢にも思いませんでした。
早くまた、去年のような新京極に戻ってほしいです。切に祈っています。

みなさん、がんばりましょうね。   智(とも)  

 

 

 

心が傷ついた時に読んでほしい話「仕事編」

Blue あなたとわたしの本  237

 

 

 今回は、心が傷ついた時に読んでほしい話です。とくにお仕事関係で傷つかれた時に。

 例えば、あなたが仕事で何かミスをしたとします。それで誰かに叱られたり、きつい言葉を浴びせられたとする。当然あなたは傷つきます。でもね、ミスをするのは仕方ないんですよ。誰だってミスをします。叱られるのもいいんです。失敗もしなければ叱られもしないとなると、知らず知らず人は傲慢になっていきます。他者を見る目も厳しくなり、思いやる心を忘れていきます。気を張り続けているからミスがないわけで、あるポイントでプツン、とちぎれる人も出てきます。

 時にはミスをしてもいいんです。叱られてもいいんです。良くないのは── 

やっぱり自分は駄目なんだ」と、その方向に思考が行ってしまうこと。

「自分は駄目」、じゃないんです。「とった行動」や「そのやり方」の何かに誤りがあっただけです。全人格を否定されたわけではないのです。「自分は駄目だ」と落ち込んで終わってしまったのでは、その経験から何も学べません。学ぶんです。次に繋げるんです。そして、より魅力的な人間になるのです。そうすれば、その経験はもう「失敗」などという呼び名ではなくなったはずです。自分を成長させてくれた、知識も与えてくれた、より魅力ある人間にしてくれた、「ありがたい機会」に変わったのです。

「それでもとても傷つく言い方を上司にされたんだ」と言われた方が以前にいました。それは上司が「駄目」なんです。人間の練れた上司なら、他者の自尊心を傷つける言い方はしません。君の力が必要なんだと伝えられるのがリーダーです。ここにいてもいいんだな、という気持ちにさせてくれるのがリーダーです。チームに受け入れられている、という安心感を持てて初めて、人は十二分に能力を発揮することができます。後輩の潜在能力を表に出してやるよう働きかけるのが先輩の役割でしょう。部下の自己イメージを低下させ、やる気を無くさせるようでは話になりません。「自分はリーダーとしてまだまだだなぁ」と落ち込んでもらわなければならないのは上司のほうです。あなたが沈んでいる場合ではない。あなたは上へ上へと昇り続けなければならない。上司は上司で勝手に成長してもらうとして、あなたはその経験から学べばいいのです。非があったのなら改めるのも当然です。素直に謝りましょう。改善し、次から同じ過ちを繰り返さなければいい。「ああいった言い方は人の自尊心を傷つけるなぁ」とそこも学びとしましょう。あなたはそんな言い方を決して人にしなければいいのです。何もかもをあなたの魅力・実力を増すための材料としましょう。倒れたのならその辺を這いずり回って探しまくってでも学びとなる要素を掴み取ってからまた起き上がってください。そうすれば生きていくことに張りが出てきます。よくなり続けるわけですから。魅力的な人間になり続けるわけですから。「自分は駄目だ」と思うと気持ちが沈むということは、間違った方向に思考していますよ、というあなたの心の深い部分からのサインでもあるのです。「そうじゃない!」と深い部分が言っているのです。「自分は駄目じゃない!」と叫んでいるんです。学び、学び、学んでプラスに転じ、人格を高めましょう。思いやりのある、魅力的な人間になり続けましょう。生きる意味とは、自他に優しくなることなのですから。

 付け加えるなら── 上司もいろんな哀しみや問題を抱えている同じ人間なのです。人を叱るというのもそれはそれで〝しんどい〟ことでもありますしね。そんなしんどいことをして、学びの機会を与えてくれたわけですからそのことに感謝しましょう。「いまは感謝する気にはなれない」という時も確かにあります。そういう時は神さまに感謝しておけばいいのです。成長する機会を与えてくれた神さまに向かって手を合わす。 気持ちがおさまってきたら、上司のことも立てましょう。落ち度があった部分は素直に謝り、〝空気〟を良くしておきましょう。雰囲気を良くしておくのは部下の務めです。そうすれば上司はほっとし、あなたのことを逆に評価してくれます。見直してくれます。──まともな上司なら。

 もう一つ付け加えます。あなたが先に自分のミスに気づき、誰にもまだ発覚していないというケースが出てきます。そういったときはどうするか? 自分から申し出るのがいいでしょう。自分から報告し、謝るべき人間には謝罪し、もう一度しっかりやり直す旨を伝えるのです。一時的には怒られることになるかもしれません。ですが、それを隠そうとするよりかはずっといい。あとで分かったりすると、あなたは信用まで失くすことになります。いちど失った信用を取り戻すのは大変なことです。「正直・誠実」、これが自らを救います。言葉にすると面白くもなんともないフレーズになってしまうのですが、事実です。ミスをした時にごまかすと(また上手くごまかせたりすると)次もまた、「どうやってごまかそうか?」とごまかしグセがついてしまうのです。年若い読者にはとくに聞いてほしい。自分で先にミスに気づいた時は、申し出、謝罪するクセをつけてください。そしてさらに良い仕事をして返すのです。あなたがどんな選択をするかによって── 誠実に対処するのか、ごまかすのかによって── そこから先の物語は良くも悪くも軌道を変えます。「ごまかす」のではなく、「正直」をクセにしてください。「ごまかす」のではなく、「誠実」をクセ付けてください。あなたの意識下に、これらの言葉が刷り込まれることを願っています。そして必要な時に意識の表層へと浮かび上がってくることを祈っています。ミスをした時は、ごまかすのではなく、「正直・誠実のレール」を選ぼう。 このクセは、これからの長い人生で、あなたをきっと何度も助けてくれることでしょう。

 

 
   まとめます。

 

◯ 「自分は駄目だ」ではなく、「とった行動」や「そのやり方」のどこかに誤りがあっただけ。全人格を否定されたわけではない。

 

◯ 「失敗」ではなく、自分を成長させる「機会」ととらえ、次に繋げればいい。這い回ってでも何かを学び取ってから起き上がろう。自分を魅力的にバージョンアップさせるのが人生。自他に優しくなり続ける旅路が生きること。 

 

◯ 先にミスに気づいた時は、自分から申し出、謝罪しよう。さらに良い仕事をして返そう。「ごまかす」のではなく「正直・誠実」のレールに乗ろう。その先に広がっている景色が全く違ったものになることは言うまでもない。

 

 

 
 最後までお読みくださり、ありがとうございました。

 

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btomotomo.hatenablog.com

 

  

上機嫌でいられる、最も手っ取り早く 最も効果的で 最も哀しい方法。

Blue あなたとわたしの本 236

 

 

 一人でいるのが

 好きなのは、

 僕という人間はたいてい

 機嫌がいい、からなんです。

 

 機嫌のいい人と一緒にいると、

 こちらも上機嫌でいられます。

 僕自身と二人っきりでいると

 僕は機嫌よくいられる。

 僕という人間はたいてい

 機嫌がいいですから。

 

 そんな僕でもたまには人と過ごすこともあります。

 そんなときももちろん

 上機嫌でいてあげたいと思う。

 

 愛、なんてものを定義するのは難しいし、

 定義する必要もないのかもしれないし、

 また何通りだって定義できるんだろうけど、

 機嫌よく

 いま・いま・いま、にしっかり居る、っていうのも

 愛、なんじゃないかって、思うよ。

 

 だって、

 そんなありがたい人っていないでしょ? 

 いっつも、

 本心から、

 ご機嫌な人ほど、

 ありがたい人って、ない。

 

 この星が、

 いや、人類が、かな。

 機嫌のいい状態であってほしいよなぁ。

 怒りや不安、

 不機嫌、

 悲しみ、憎しみ、

 そんなものばっかじゃなくてさ。

 

 ── それは無理な話だって?

 

 まあねぇ、道のりは長いだろうね。

 

 でもさ、

 せっかくの今日をさ、

 いまを、さ、

 上機嫌で過ごしたいんだよ、単純に。

 だから、

 その最も手っ取り早く、

 最も効果的で、

 最も哀しい方法が、


 一人でいる、ってことだったり、する。

 僕の場合はね。


 
 青空の下、

 森林公園のベンチなんかで。

 缶コーヒーを飲みながら。

 膝には大きめのノート

(いつ言葉が降ってくるかわかんないじゃん?)。

 好きな音楽がパンパンに入ったSONYのウォークマン

(ネットと繋がってないのがいいんだよ。

 デンワもかかってこないし)。

 そしてもちろん、

 読みかけの文庫本。


 そんな感じ。

 僕の場合はね。

 

 
 そしてさ、

 ホントのことを言っちゃうとさ、

 今回のタイトルと矛盾しちゃうけどさ、

 それで ─── 

 


 ちっとも哀しくもないんだよなぁ。

 

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0コンマ4秒の線香花火

Blue あなたとわたしの本 235

 

 

「線香花火の国」に行ったことがあります。もう30年以上まえの話です。

 それはただの線香花火ではなく、その花火たちは、0コンマ4秒しか発火することができないのです。そんな「線香花火の国」でした。

 フード付きの白いマントの男性と並び、ガラスでできた高みにある部屋から僕は外を見ていた。僕たち以外、ほかには誰もいません。

 純白の広大な敷地に、無数の線香花火が生えていました。火玉が上を向いたかたちです。閃光が確かにひらめいているのですが、0コンマ4秒のことです。見えるか見えないかの一瞬で燃え尽きてしまいます。火が消えてしまうとそれが下がり、同じ場所からまた伸びてきます。一つが終わり、ふたたび生まれる。地平線に遠方が溶けこんだ平らな大地で、そんな光景が目まぐるしく繰り返されていました。線香花火は、白い宇宙に瞬く無数の星々のようにも映りました。

よく見えますか?」、となりに立つマントの男が僕に尋ねた。非常に背の高い男です。口調は穏やかですが、その声は深い。

「目には、映っています」、言葉を選びながら僕は答えた。「でも、なにせ一瞬のことですから。今は昼間だし、それにここからでは、遠すぎる── 」

「少し低速で見てみましょう」

 ── 低速で見る?

 マントの男は、物理的に何かを(ボタンを押すとかレバーを引くとか)したわけではなかったのですが、花火の燃え方が突然スローモーになりました。ある一画が拡大され、ガラスの壁面いっぱいに映し出されもした。どういう仕掛けなのか判断がつきませんでした。窓の外の実際の光景を今まで見ていたのか── それも映像だったのか── それすらもわからなくなりました。

 線香花火の発火はなるほどよく見えるようになった。線状の火花が飛び散っています。花火たちは前後・左右と規則正しく並び、勢いよく閃光を発していた。金色をした雪の結晶がはぜ飛んでいるかのようでもありました。強風に柳があおられている燃え方もあった。それはそれで味があり、目を引き付けられた。複雑な抽象画を慌ただしく描くようなタイプもありました。どの花火も独特で美しく、魅力的に映った。

 となりに立つ男が再び口をひらきました。

「彼らの声も聞いてみましょう」

 意味がわからず首を回して男のほうを見た。その顔はフードですっぽりと覆われていて、口もとすら見えない。僕は、正面にまた視線を戻しました。

 確かに、〝声〟が聞こえてきます。最初はぼそぼそと小さく、そして少しづつ音量が上がっていった。高性能のマイクを通したように── ややエコーもかかって── やがて鮮明に届くようになりました。

こいつの火花の散り方のほうが美しいようだ、ちきしょう、負けるものか!

発火音、はわたしのほうがキレイなはずよ。このヒトの発する音ったら

あいつの燃え方にみんな注目してるんじゃないのか? おれを見てくれよ! おれに注目してくれ!

すべての面で自分は劣ってる。いいところなんて一つもない。自分なんて早く燃え尽きちまえばいいんだ!


 マントの男が深い声でまた言いました。「本来のスピードに戻してみましょう」

 ガラスの外に、広大な白い大地がまた見下ろせた。無数の線香花火たちが燃えたり消えたりを繰り返しています。目にも捉えきれないスピードで。0コンマ4秒の発火。

「スローにしてみましょう」

 彼らの声が部屋中にまたこだましました。

ちきしょう、ちきしょう、ちきしょう!

おれだって、おれだって、おれだって!

わたしを見て、わたしを見て、わたしを見て!

こいつが憎い、こいつが憎い、こいつが憎い!

自分なんて駄目だ、自分なんて駄目だ、自分なんて駄目だ!

消えちまいたい、消えちまいたい、早く消えちまいたいよぉ!

 

 気がつけば── 窓の外は白い大地にまた戻っていました。金色が、目まぐるしく瞬く無音のドラマです。0コンマ4秒と0コンマ4秒と、0コンマ4秒の発火── 。フードをかぶった男の姿はもうどこにも見当たりませんでした。あの男と出会うことは二度とないこともなぜだかわかりました。どういうわけか寂しさが胸にきざした。ガラスの部屋には誰もいません。 自分もここから立ち去るときだなと、僕は思った。

 その当時、僕は旅をつづけていました。催眠術のような列車に乗り、知らない土地から知らない土地へ。見知らぬ国から、また見知らぬ国へ。 ほとんど誰とも口を利かず。 自分自身からも逃れるように── 。


「線香花火の国」を訪れたのはその一度だけです。最初にも申しましたように、それから30年以上の月日が経っています。でも、その日のことをありありと覚えています。そのときから僕のなかの何かが変わってしまったような気もします。

 



 あなたも機会があれば、「線香花火の国」を訪れてみるのはどうですか? どの国を旅行されるよりも、あなたの内側を変えてしまうかもしれません。 そう、ほんの少しだけ。あるいは── 決定的なまでに。

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心温まるタイプの「Blue〜」ではなかったかもしれませんが、つかの間ふしぎな世界を漂っていただくことも気晴らしになるのではないかと考えました。 
音楽を始めとする芸術・表現── それらで満ち満ちた日常が一日も早く戻りますことを心より祈っています。

みんな、がんばろうね。   智(とも)

 

 

 

 

 

 

物語は続く。光満ちる季節は来る。

Blue あなたとわたしの本 234

 

 

 情報は大事。

 我慢することも大切。

 身を低くし、堪える時も。

 より高く、

 飛び上がるために。

 

 正しいことを全く含んでいない「間違った意見」も少なければ、

 間違ったことを全く含んでいない「正しい意見」も少ないよ。

 

 自分自身で、

 しっかり考える、ということ。

 意図的に思考すること。

 あなたが思考の主人だということをまず、

 忘れないで。

 ネガティブな情報を、

 四六時中

 無防備に

 浴びすぎると、

 心と体をかえって弱めちゃう。

 

「好き」、を手放さないこと。

 その行為にたずさわっていれば、

 満ち足りた気持ちになれるはず。

 エネルギーが

 湧いてくるのもわかるでしょ?

 気分だって一変してしまうんだよ、戸板を返すみたいに。

「好き」、に熱中しながら憂いに沈む、ってことは

 できないんです。

 それを利用するの。

 逃げていいんだ。

 逃げじゃないんだ。

「好き」、という屋根裏部屋に

 引きこもってしまうことも、

 メンタルを守る技術です。

 もぐり込んだまま、

 そこで楽しみ、

 技も磨く。

 そう、

 力をたくわえるんだ。

 

 
 僕は元日の投稿のあと、

 新作小説「黙想館の夜」の仕上げに集中していました。

 今、いちばん読んでほしい僕の文章作品です。

 必ず世に出すから。

 あなたに読んでもらいたくて、

 この二年間、

 推敲に推敲を重ねてきたんだから。

 手にとってくださいね。

 自己ベストを更新し続けるのが人生です。

 生涯にわたって〝脳力〟って伸び続けるの。

 どんどん力が落ちていくほど

 人間はやわじゃない。

 良くなり続ける。

 そう宇宙に向かって

 宣言するんだ。

 そうすれば、

 生が輝くから。

 
 なぁ、みんな、

 物語は

 まだまだ続くんだぜ。

 

 
 思考するときは、

「思考するぞ」としっかり意識し、

 意図的に思考しよう。

 あなたが思考の主人です。

 主人の座を取り戻すと、

 自らに芯、が通った感触を覚えるはず。

 頭の中を流れ続けるネガティブな騒音を

 ただ聞いてぐらついている精神状態との相違がわかります。

 この違いを、感得してほしい。

 あなたが思考の主人です。その逆じゃない。

 そして、

「好き」、を手放さないこと。

「好き」、から立ち去らないこと。

 何があっても。

 

 
 
 ちょっと話、飛ぶかもしれないけど、

 

「同じです あなたとわたしの 大切さ」って

 

 標語を、町なかで見るじゃないですか?

 あの言葉、僕、好きなんです。

 誰が考えたのか知らないんだけど、

 すごい言葉ですよ。

 あれがすとん、と腹の底まで落ちたら、

 人としてほとんど完成してる。

 

「同じです あなたとわたしの 大切さ」

 

 僕は未熟だから、

 そこに近づけたり、また遠ざかったり、してるんだけど。

 あの言葉を忘れないようにしたいと、でも思ってる。

 

「同じです あなたとわたしの 大切さ」

 

 国籍も、性別も、年齢も

 関係ありません。

 当たり前のことを当たり前だと当たり前に

 認識できるのが──

 完成に近づくことなのかもしれないなぁ。

 世界中の人に直覚してほしいよね、

 今回のこの状況・機会に。

「わたし」、っていうものの輪郭を、

 地球規模にまで拡げるチャンスでもあるんだ。

 そして、

 必ず、

 乗り越えよう。

 

 

 思考するときは、意図的に思考してください。

 焦点を当てるものが

 あなたの心を占めていく。

 占めたものが

 感情を連れてくる。

 あなたの日常の色合いまで

 決めてしまう。

 あなたの気分を上げてくれるものに、

 フォーカスしよう。

 情報は大切さ。

 だけど沈みきってはいけない。

 望まないことに注目しすぎてはいけない。 

「屋根裏部屋」にもぐり込もう。

 そこにはあなたの好きな本があり、

 音楽が流れ、

 写真や絵画が飾ってある。

 そんな「屋根裏部屋」で

「好き」、に没頭しよう。

 心と体を健全に保とう。

 さらに実力をつけよう。

 

 
 元気でいるんだよ。

 あなたが大好きだから。

 今年も、当然のように桜が咲き、

 初夏ももうそこまで来てる。

 

 
 身を低くし、堪える時もある。

 歯ぎしりしたくもなるだろう。

 涙だってにじむだろう。

 だけど膝を曲げ、

 いちどしゃがみ込むから、

 力がたくわえられ

 より高く、

 飛び上がることもできるんだ。

 


「同じです あなたとわたしの 大切さ」

 

 
 
 物語は続く。

 
 光満ちる季節は来る。
 

 

 
 共に生きましょう。

 
 愛しています。

 

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Welcome to 2020!! さぁ、行動しよう!

Blue あなたとわたしの本 233

 

 

 生きるということは、

 行動し、

 体験することだと思います。

 

 自他を思いやるという

 ルールだけ守って。

 

 今年は

 思い切って

 行動しよう。

 体験するんだ。

 飛び込むんだ。


(いつか、これをやろうの

 いつか、を今年やるんだ)


 そうすることによって、

 傷つくこともあるかもしれない。

 だけど、

 心が打ちふるえる、

 いままで味わったこともなかった

 感情も、

 たくさん味わえるから(マジだぜ)。

 

 一歩踏み出すのが

 怖いって?

 

 そんなときは思い出してよ。


 ココがいったいドコなのか、

 あなたは知らないってことを。

 誰も知らないってことを。

( なのに何を恐れてるの?)

 冒険を面白がるんだ。

 思い出そう。

 あなたのことばかりを、

 人は見ているわけじゃないってことも。


 時間は有限だってことも、さ。

 いまが本番です。

 一瞬、一瞬 が本番。

 今日という日は

 二度と戻ってはこない。

 密度の濃い、

 経験に変えてしまうんだよ。

 生きるということは、

 行動し、

 この世界を、

 自分自身を、

 体験する、ってことなんだ。

 

  恐怖心は乗り越えられる。

 これらを思い出すだけでね。

 試してみてよ。

 そう、

 今年はもっと体験しよう。

 歓びを(少しの傷みも)、楽しもう。

 あなたの魂に、

 味わい深い模様となって

 すべてが刻まれ、

 あなたをより

 魅力的にしてくれるから。

 

「勝ち組」だの「負け組」だの、

 センスのかけらもない言葉にも

 惑わされないで。

 情報に気を滅入らせすぎないようにも注意しよう。

 この国は

 人をいじめる人間や、

 性犯罪者で埋めつくされたわけではありません。

 不正をする人間ばかりでもありません。

 人の痛みのわかる人間のほうが多いんです。

 あたたかい

 誠実な心のほうが多いんです。

 いつだって、

 ずっとずっと多いんです。

 

 恐怖心に

 打ち勝ち、

 挑戦し、

 さまざまな

 経験を積み、

 少しずつ、

 少しずつでも、

 自他に優しい人間になれれば、

 思いやり深い人間になっていけているのなら、

 その人は、

勝者」。


 わずか数十年の人生のあいだに、

 自他を思いやり、

 自他を楽しませることが

 出来た人が 立派なの。

 自他に幸せを

 与えられた人が 成功者。

 人間としての成功者。

 本当の、

勝ち組」なんだぜ。

 

 だから安心して、

 純粋なままで、

 殻をやぶり、

 心を弾ませ、

 ドキドキ、

 ワクワク、

 今年はより

 挑戦してみてください。

 体験してみてください。

 美しく、不可思議で、

 魅力に溢れたこの世界を。

 あなた自身を。

 心の声に耳をすませて。

 
 それが、

 生きてる、ってことだと思うよ。

 

 

 
 あけましておめでとうございます。

「Blue あなたとわたしの本」にご来訪くださった

 すべての皆さまに感謝いたします。

 

 2020年。

 あなたとわたしにとって、

 最上の、

 最高の

 一年にしましょう。

 

 なぜかしら惹かれ続けるそのことを

 今年もやろう。

 勉強したいことを

 とことん勉強しよう。

 そして誰かを楽しませようよ。

 

 あなたの文章で、

 詩で、

 歌で、

 演奏で、

 絵画で、

 
 お菓子で、

 お料理で、

 ステキなパンで、

 
 小説で、

 演劇で、

 映画で、

 ダンスで、

 写真で、

 ビジネスで、


 あなたの居場所で、

 あなたの表現で、

 ここでなら優しくなれるというその場所で、

 スポットライトが当たろうと、当たらなかろうと、

 あなた自身が光となり、

 照らし、

 あたため、

 この世界を明るくしていこう。

 

 あなたのことばかりを人は注視していない。

 だけど、

 誰かが、

 あなたの努力と工夫、

 覚悟、

 涙、

 笑顔、

 輝きを見ています。

 必ず見てる。

 必ず見ているんですよ。 

 

   Happy New Year!!

 Happy Happy New Year!!

 さぁ、行動しよう!

 世界を、

 自分自身を! 

 体験しよう!!

 

素晴らしき2020年に

ようこそ!!

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「自己満足」のすすめ

Blue あなたとわたしの本 232

 

 

「自己満足」という言葉は、いい意味として使われることはあまりないですよね。

 広辞苑を見ると、

 

自分自身または自分の行為に、みずから満足すること。

 

 と、あります。


 大辞林だと、

 

 客観的評価に関係なく、自分自身にまたは自分の行為にみずから満足すること。

 

 と、なっています。

 
 
 ── ん?   それでいいんとちがうん? なにがアカンねん? むちゃくちゃカッコいいじゃねえか? って 僕なんか思っちゃうわけですよ。

 とくに、

 

客観的評価に関係なく自分自身にまたは自分の行為にみずから満足すること。

 

 ってところにシビれます。

俺には 客観的評価 なんて、関係ねえのさ、俺みずからが満足してりゃあよ」 みたいで。

 

 
 そりゃあね、例えばね、仕事を頼まれてさ、クライアントの望んでるものとまるっきりかけ離れたものを提出してさ、「これが最高なのさ、俺はこれに満足しているのさ、そこんとこヨロシク」とかって言っちゃあ、そりゃマズいよ。

 でもね、それがね、不特定多数に提示する作品的なものだったりしたらさ、「自己満足」ってスゴく大事ですよ。自分の満足を目指すべきさ。 徹底的に、妥協なく。「客観的評価」や「承認」ばかりを先に求めると、個性、って死んじゃうんです。気持ちも萎縮しちゃう。ビクビクになっちゃう。

「これが私だぜ!」って両腕をひろげてほしいんです。「これがカッコいいって感じるんだもん!」とかさ。「これが大好きなんだ!」って。  あなたにとっての 「どうよ! 最高だろ!」を見せてほしいのです。

 
「それがもし未熟なものだったらどうなんだ?」と思われた方もいらっしゃるかもしれませんね。「ただの独りよがり、過大評価じゃないか」と。 ── そうですね。そのとおり。でもね、どれだけスゴいものをたとえ作ったとしても、それより上のレベルの人って必ずいるわけですよ。そういう人から見たらそれはやっぱり未熟だろうし、不完全さ。 そこはしょうがないんです。それでいいの。そこを考えすぎると人は動けなくなります。まずは「自己満足」でいい。独りでよがろう。

「Blue〜」なんかの場合だと、ざっと初稿を書きます。「いいなぁ。カッコいいものになりそうだなぁ」って、独りでよがります。そんで、独りでよがってすぐ投稿するかといえば、しないですよ。そこから推敲します。「自己満足」できるまで、何度でも。
 いま気づいたけど── 僕の場合、「独りよがり」のその先に「自己満足」がある感じです。「独りよがり」→「自己満足」って順。
 よし、これでいいな、という感触が来たら、公開します。それで、読んだ人もいいと思ってくれたら言うことないんだけど、それはわからないじゃないですか? だから「自己満足」を目指すしか実際 ないんですよね。「自己満足」できるまで粘るしかない。それしかできない。それでいいと思うなぁ。 そんなふうに続けてたら── その結果── 誰だって上達しちゃいますから、さらに「自己満足」できなくなってきます。無意識にハードルを自身で上げてくから。「自己満足」し続けることがどれだけ難しいかにも気づいてくる。それでも「自己満足」できるところまで粘り抜けるかでしょう。 だから、熱意のある人は「自己満足」し続けられるよう常に勉強するだろうし、工夫するし、他者の意見にも耳を傾けるようになるんだよね。知性や感性、技術を磨き続ける。自己ベストを更新し続けるためにね。
 好きなことを見つけ、「自己満足」できるよう自身をアップグレードし続けるっていうのは「王道」だと僕は思っているんです。「自己満足」を目指すのはぜんぜん悪いことじゃないよ。
 
 たくさんの人から「承認」してもらえるだろうか? じゃなくて、たった一人の自分を自分で「承認」できるかなんです。そこに立つんです。そうしたらその地面はグラグラ揺れないから。気持ちはシンプルになるし、ある意味ラクにもなるよ。〝自分が満足できるか〟〝自分で自分を認められるか〟── そこだけが勝負になってくるわけだからさ。
 

 あなただけが たどり着ける「自己満足」があります。上がり続ける〝あなたの〟ハードルが。それを飛び越え続けてれば、いつか誰かの「満足」にも繋がってるんだよ。気がつけば「承認」だってされてるから。誰かに、必ず、 伝わるの
 
 
 

「独りよがり」→「自己満足」、 そしてその先に →「自他満足」があると、僕は信じているのです。
 

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 あんたはあんたの大ファンかい?
 

 

 

 

 

 

 

ここでなら優しくなれるという場所があれば

Blue あなたとわたしの本 231

 

 

 いじめられたり、理不尽な目にあった経験のある方は、それらがフラッシュバックし、悲しみや怒りが湧き上がってくることもあるでしょう。再び傷つかないよう、心を閉ざし気味にし、日々を送っている方もいらっしゃるかもしれません。いつも穏やかで、どこにいても優しい人でいられたらそれに越したことはないのでしょうが、難しいものもあります。そうこぼされる方に、最近つづけてお会いしました。ほかでもない僕自身にも、そういった面があります。

  でも不思議なもので、ここでなら優しくなれる、という場所があるものなんですよね。それは子どもさんと過ごされるときかもしれない。ペットとの時間かもしれない。ある職人の方は作業をしているとき、穏やかな気持ちになれると言われました。そのときは無心に近いが、あとで考えるととても豊かな時間を過ごしているんだ、と。人に喜んでほしい、という気持ちにもなっているようです、と。

  僕の場合も、文章を書いているときがそうですね。僕にとって優しくなれる行為・場所です。ふだんはそれほど愛想のいい人間でもないんですよ。一人でいるのが好きだし、無神経なことをされるとわりとすぐ頭にきます。華やかな社交も僕の求めるところではないようです。

 いまも長い小説を書いているのですが、読んでくださる方が数日間、あるいは数時間、夢中でページを繰ってくれるのなら100回だって書き直せますし、実際そうしています。苦にならないのです。嬉しいのです。苦しいけど楽しいんです。ありったけの愛情を注ぎ込みたくなります。僕の心がほどける場所なのです。

  あなたにもそういった場所がおありになるのではないでしょうか。そんな場があれば── たったひとつあれば── いつもどこでも優しい人でなくてもいいようにも思います。人って、多かれ少なかれ多重人格的ですからね。でも優しくなれる場所があれば、知らず知らず、いつどこにいても思いやり深い人になっていくのではないかという気もします。なっていけるのではないかという気がします。少しずつ、少しずつでも。たったひとつ、美しくなれる場所があれば。

  過去に打ち負かされなかった証しは、自他を思いやれる人間になれるかどうかだとも思います。自己を慈しみ、他者のことも大切に思えるようになれば、過去に勝利したのだ と。そのためには、なぜかしら惹かれる〝その行為〟を信じることです。あなたにそなわった〝特性〟への信頼を揺るがせにしないこと。〝居場所〟を守ること。そんな場所がただひとつでもあれば、喜びの明かりで闇を消し去れる日が来るような気がします。生まれてきてよかったと、過去に、すべてに、手を合わせられる日が来るような気がします。 そう、願います。

 

 最後までお読みくださり、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 さぁ、今日も 〝あなた を〟はじめましょうか?

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純白の宇宙

Blue あなたとわたしの本 230

 

 

 あなたとわたしは唯一無二の個性ではあるけれど、唯一無二の個体、ではない。肉体も心もすなわち〝あなた〟ではなく、肉体と心はいっしょに旅をしている大切な仲間。肉体と心を統べるものがあなたの本質。「我思うゆえに我あり」ではなく、「思う」よりもはるかに大きな存在。時間と空間をも超えた存在。今までも・今も・これからも存在しない個性であると同時に、あなた、などというものはなく、他者と呼ばれる者と溶け合うこともできるし、死者と呼ばれる者と混じり合い、その能力を共有することもできる。生もなければ死もなく、すべてはひとつ。宇宙があなたとわたしであり、宇宙の内と外もあなたとわたし。「自由」であり「創造」、そしてアンサーとしての「愛」。始まりと終わりが繋がったおもちゃ箱。無限の入れ子細工。放熱の変換。プログラマーでありプレイヤー。作家であり読者。 純白のページは刹那に増えつづける。さぁ、楽しもうか。〝あなたとわたしの本〟を。

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