「PERFECT DAYS」を観てきた。 頭から離れなくなる映画だった。 vol.1

Blue あなたとわたしの本 255

 

 

映画「PERFECT DAYS」をもう観られただろうか。あなたがどういった感想を抱くのか、とても興味がある。もしまだ観られていなかったら──ネタバレもこれから書いていくので──鑑賞後にこの文章を読んでもらってもいいのかもしれない。 真っ白な状態で映画を観てみたいとお考えなら。

役所広司演じる平山さんの最後のあのシーン。 車中、正面からの大写し。その変化する表情の演技をどう解釈するかによって、観た人の持っている価値観・人生観が浮き彫りになるようだ。 
人によっては、「 平山は自らの生活をやはりみじめだと思っていた。だからラストで涙するのだ」と捉えるらしい。何人かからそういった感想を聞いた。私はそのようには受け取れなかった。
もちろん映画や小説の解釈は人それぞれだし正解はない(年齢や境遇によっても変わるだろう。この映画はとくにそうだと思う)。製作陣や作者にはっきりした意図があったとしてもそれが唯一の答えではない。どう受け取ってもいいのだ。だが、「平山さんが目に涙をためた理由はそうではない」と言い返したくなる自分がいた。平山さんがまるで実在の人物であるかのように。自分の近しい人でもあるかのように。 

この映画の主人公である平山は公衆トイレの清掃員をしている。古びたアパートでの一人暮らしだ。清掃は手を抜かず、黙々と仕事をこなす。道具まで自分でこしらえている。夕方にはアパートに帰ってくる。銭湯へ行き、地下街にある居酒屋で食事をとる。寝落ちするまで布団で古本を読む。そしてまた同じルーティンの朝を迎えるのだ。
観る人によっては、この主人公にイライラするようだ。上昇志向もなく、現実逃避をしている人物に見えるらしい。私の観た上映回でも何人かが途中で席を立った。そのまま戻ってこなかった。映画館ではあまり目にしたことのない光景だった。
「平山は家庭も持たず、親の面倒もみていない。人生のすべてから逃げつづけた成れの果てなのだ」といった意味のコメントも読んだ。
親と向き合っていない、という部分は私もうなずく。だが、それにもきっと事情があるのだ。平山にとっても心の傷となっているのだろう。この映画は説明されない部分が多い。回想シーンも用いられない。伏線の回収もなければ起承転結もない。ゆえに実人生と似ている。平山から目が離せなくなる。鑑賞後も頭から離れなくなる。

夜、木造アパートの前。妹であるケイコと再会するシーン。ケイコは運転手付きの高級車でくる。「こんなとこ住んでるのね」と彼女は言う。「ほんとにトイレ掃除してんの?」とも。彼女にとってトイレ掃除など誰かがやってくれるものだったのかもしれない。平山の実家は裕福だったのだろう。 大会社の跡取りだったのかもしれない。あるいは平山も一流企業に勤めていた時期があったのかもしれない。 たぶん彼は、魅力を感じなかったのだ。自分はそういうタイプの人間ではない、と自覚したのだろう。 社会的地位の〝高い低い〟より、 何よりも〝自分自身〟でありたかったのではないか。〝自分にとっての幸福とは何か〟を考えてしまう資質を持っていたのだろう。
「それは自分の道ではありません」とはっきり言うのは勇気がいることでもある。普通はそれができないのだ。親や親族、世間の目を気にして。自分自身の本性をこそ、深く見つめるべきなのに。 
若い同僚・タカシが急に仕事を辞め、タカシの受け持ちだったトイレまで清掃してまわった夜、 ガラケーをにぎった平山は会社にこう言い放つ。「毎日は無理だからね」。そう、無理なものは無理だと言える人なのだということがこのシーンでしめされる。夕方早くにはアパートに戻り、規則正しいルーティンを守りたいのだな、とも汲み取れる。残業手当などよりそちらのほうがきっと大切なのだ。平山の過去には、何か大きな出来事があった。たぶん父親との確執が。妹・ケイコの話にあった、ホームにいる父親は「もう昔みたいじゃないから」というセリフからもうかがえる。「俺には無理だからね」、 平山は、過去にもきっと父親に断言したのだ。
自分はそういったことがつとまる人間ではありません、つとまりたいとも思いません、と見定めること。それを受け入れること。自らを許すこと。そして〝なぜかしら惹かれる〟ことに正直になってみる。それが生きる、という行為への誠実さにもつながる。だが、そういった真摯さは他人には理解されにくいものだ。わがままに見えたり、変人に見えたり、ときには憎まれることもあるかもしれない。
平山さんの数少ないセリフのなかにこんなものがあった。「 この世界には、本当はたくさんの世界がある。つながっているように見えても、つながっていない世界がある」
平山と妹の世界も「 つながっていない世界」だ。妹・ケイコは実家の裕福な環境に違和感をおぼえないタイプなのだろう。 平山の姪っ子であるニコは居心地の悪さを感じているようだ。 母親とも衝突し、伯父である平山のアパートへ転がりこむ。平山も、昔の自分とニコがかさなって見えたかもしれない。血もつながっている。愛おしく思わないわけがない。だが、いつまでも自分と居てはいけないという分別も当然ある。彼は妹に電話をかけ、迎えに来させる。妹のスマートフォンの番号も知らないだろうから、平山は実家にかけたはずだ。それで妹が出たとしたら、やはり妹が家業を継いだものと受け取れる。平山はこのとき自らの携帯電話を使わなかった。銭湯の公衆電話からかけていた。こちらの履歴を残す気はない。「つながっているように見えてもつながっていない世界」。その断絶は、深い。
平山はアパートの前で妹を抱擁する。ケイコもまた涙ぐむ。もう会うことはないであろうことを共に悟っているかのような場面だ。

 

  書き出したら、思っていたよりも文字数が必要なようです。vol.2、として近日中につづきを投稿します。

 

 

 

 

 

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