もっとフィクションを! 僕たちには〝ウソ〟が必要なんだよ。

Blue あなたとわたしの本  243

 

 

 けっこう浮世離れした生き方をしている人間だから、「現実的になれ!」、「おまえは社会を分かっていない!」、みたいなことをずいぶんと言われてきた。まぁ、大して分かりたいとも思わないんだけどね。とくに「社会」なんてものは。あっち向いてこっち向いてるあいだに様変わりしてしまうものでもあるし。「現実」、なんてものはそもそも誰も知らないし。 なに? 「現実」って?  じつは誰も知らないってことを知らない人間がいるだけでしょ、って。 ── だから大切なことは、どこだか分からないココで、どうやって可能なかぎりラクに、楽しく生きていくかってこと。僕にとってはね。関心のあるのは、そこ。

 昔からフィクションが好きだった。マンガから始まって、映画、小説、演劇、どれも好き。もちろん音楽も。プロレスも好きだよ。合気道や空手をかじったことがあるから、プロレスがリアルファイトじゃないってことはけっこう早くから気づいてた。そこがいいんだよ。だから深いんだよ。「あんなの八百長だ!」って言う友だちとかいたじゃない? プロレスが八百長なら映画も演劇も八百長じゃねえか、って思ってたな。フィクションだから面白いんじゃん、って。

「Yahoo! ニュース」とか見てても気持ち、弾まないでしょ? どっかでジャンクションが切り替わって、パラレルワールドに迷い込んじまったんじゃないかって思うよ。隣のレール上にまだ、平凡で穏やかな、懐かしいあの日常があるんじゃないかってさ。パンデミックなんてものは、パニック映画のなかだけにしてほしいよね、ほんと。

 映画だったらさ、だいたい1時間を過ぎたあたりにさ、「最大の試練」っていうのが待ち受けてるわけですよ。そこで主人公がどん底を味わう。死にそうになる。でもなんとかそこを乗り越え、何がしかの「報酬」を手にするの。新しい武器とか、物理的なものだったりもするんだけど、人間としての深み、だったりもする。他者への愛情や理解、とかね。つまりはバージョンアップする。新しい人物に生まれ変わるわけです。 さらなるクライマックスがこのあとにあり、それをもくぐり抜ける。これを「復活」と言ったりもするよね。それらの冒険によって身につけた、を持って日常へ「帰還」するわけです。より成熟した人間として生き続けるわけ。これが物語の基本構造。とくにヒーロー物のね。 フィクションっていいよね。やさしいよね。「最大の試練」、で押し寄せる巨大な圧縮機で主人公がぺしゃんこになったところでエンドマークなんて出ないもの。「どないなっとんねん?!」って映画館でみんな叫んじゃうよ、そんなんなったら。

 このブログを始めて1、2年経ったときにね、匿名の方からコメントをいただいたんです。「このブログは偽善だ! 綺麗ごとばかりだ!」って。── 偽善なんです。綺麗ごとなんです。 生きることの苦しみや、親への呪詛、生まれてきたことへの嘆きを、生涯書き続けた作家も確かにいます。それはそれでいいと思う。いいと思うと言うか── よく分かる。共感すらする。生まれてくるということは、とてつもなく苦しく、大変なことだから。 自分の子どもをこの世界に誕生させるという決断さえ、僕はできなかった人間です。変な言い方をすれば、〝究極の過保護〟。ココに放り込むことをかわいそうだと想う気持ちを払拭できなかったわけですから。少なくとも、楽観論者ではない、僕は。 ネガティブに傾きやすいし、考えすぎるし、時に地の底まで、落ち込む。そんな自分を、なんとか持ちこたえさせてくれたのは、いつも、フィクションでした。今もそう。映画や文学、音楽・写真・絵画。それら表現・芸術があったから生きてこられたし、今も生きているんです。

 僕たちには〝フェイク〟が必要なのです。でも100パーセントの偽善・綺麗ごとでは、大した力は持たない。 不平・不満、怒り、それをそのままブチまけるのも美しくない。芸がない。 虚偽と真実のあわいにある、純度の高い、〝本物の〟「フィクション」が、人の心を打つのだと思う。そういった作品を、僕も目指したい。作りたいし、残したい。

 僕たちはいま、ある意味、「最大の試練」にさしかかっているのかもしれないなぁ。そうであるならば、この先には「報酬」があって、劇的なクライマックスがあって、「復活」があって、「帰還」があるわけです。そう「帰還」が。より成熟した僕たちになって、日常への「帰還」が。

 現実はフィクションじゃないって? さぁ、それはどうかな。現実、がなんなのかなんて、誰も知らないんじゃないのかなぁ。 なんにせよ、あなたとわたしの物語はまだ続いています。 共に乗り越え、「帰還」しましょう。より強く、優しくなった僕たちで。  フィクションのある日常へ。 必ず、「帰還」しましょう。そして、そう、まだまだ僕たちは、ココで映画を、文学を、音楽を、あらゆる表現・芸術を楽しみたいのです。それらは〝人間が〟作るんです。本物の「フィクション」を残せるよう、僕も努力を続けます。それが僕にとって、子孫を残せなかった罪滅ぼしであると同時に、〝楽しく生きていく〟と、イコールでもあるから。そうなのです、そう! 

 もっとフィクションを!

 僕たちにはフィクションが必要なんだよ!!

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