「やるってんだい!」と 言われてもねぇ 。
誰も「やめとけ」 言うたあらへんのですから 。
いつものように、いただいたスター、いろいろな要素、僕自身の偏愛── 、ベスト15 を選んでみました。投稿日の古い順から載せていきますね。
僕の文章も、ケイさん(男性です)の写真も派手なものではないですが、好きな回です。
いま読むと最後の1行がキザで赤面してしまいます 。ケイさんの写真が楽しい!
そんなにウケる回ではないだろうなと思いながら、アップしたのを覚えています。でもこれを好きだと言ってくださる方がけっこういてくださいます。嬉しいです。
我慢している人は多いだろうなと思います。やさしい人も多いだろうなと思います。とくに華のある文章ではないですが、少しでもラクになってもらえたら嬉しい。
あなたとわたしへのエール。写真も好き。一隻だけ写ってる白い船がたまらない。よく撮れたよなぁ。
『Blue〜62』の別バージョン。長めのバージョンです。
久しぶりに読み返し、慰められました。まず自分自身が癒され、励まされること。それを僕とよく似た誰かへ届けたい。それが「Blue あなたとわたしの本」の、ただ一つのコンセプトです。
そういうときって、ほんとにあります。そんなときさらに自分を鞭打つと、人は倒れます。
自分に厳しくしすぎないよう、おたがい気をつけましょうね。
「そういう人でもいいじゃない」心から、そう思います。
ケイさんの写真がスゴい。「そこどこなん?」みたいな。
Kei Tamura さんの写真は、もっと反響があっていいと個人的には思っています。ケイさんの写真を賞賛するコメントをいただいたときは、いつも嬉しい。プロフィールまで見ない方には、僕がフリーフォトを使っていると思われているのかなぁ? 太陽の塔の写真2枚(Mayu Nomuraさんの作品)以外、すべて Kei Tamura さんのオリジナル写真です。
『Blue あなたとわたしの本』150回のうち、最も多くスターをいただいたのは、『メビウスの輪』でした。僕という人間がよく出ている文章だと思います。好きな作品です。
創作とは何者かとの共同作業だと思う、と何度か書きましたが、この作品も〝何者か度〟が高いですね。短時間で仕上がりました。『Blue〜75 祭り』を書いたときのパターンとよく似ています。
この回は思った以上に反響があった印象です。
ここで言う〝学歴〟は、あくまでも「Blue〜」的には、ってことです。でももちろん僕の本音です。
『Blue〜144 人間が最期の瞬間に想うこと』
『Blue〜145 奇跡 あなたが生きているということ』
そして、
『Blue〜143 人生の本質』
『Blue〜146 命』
『Blue〜148 やりつづけるよ』
『Blue〜149 このありがたさよ』
『Blue〜150 心の底から』
なども含め、少し書かせてください。
今から1年と2ヶ月ほど前、告知、というとやや大げさになるのですが、「え? 俺って来年の桜、見られるの? その前の誕生日は迎えられるんだろうな?」みたいなことが、あったんです。
それはもちろんショックで、目の前が真っ白になりました。夜も熟睡できなくなり、夜中に何度も目が覚める。そしたら、言葉が浮かぶんです。〝来る〟んです。
そのときはもう「Blue〜」の構想があって、ぽつぽつと原稿をためだしていました。それまでは小説を書いていたんですが、自分と似たようなタイプの人間を慰められないだろうか、って方向へどんどん行ってて、格言みたいなのが散りばめられたり、わけのわからない作風になってきてた。それならば、〝あなたとわたし〟へ届けることだけを目的とした、手紙のような本を一冊書いてみようかと思ったんです。
夜中に目が覚めて、言葉が浮かぶ。〝来る〟。これは以前からあることで、珍しいことでもなかった。でもそのときは、「もういいよ」と絞るような声を出しました。「死ぬかもしれないのに、そんな言葉書いて、どうなんだよ」と。「有名人でもない人間の〝言葉集〟を出してくれる出版社もあるわけないだろ! 頭おかしいんじゃないのか! もういいよ!」
だけどここでメモしとかないと、朝になったら絶対に思い出せないことも経験的に知っていたので、仕方なく、枕元の紙とペンを掴みました。
朝になって、読んでみた。
── 良いんですよ。そのときの僕の奥底からの叫びであると同時に、明らかに〝僕自身を超えた〟言葉でもあった。「いいなぁ」と思いました。そしていつものように推敲に取り掛かりました。「あぁ、やっぱり推敲するんだ」と一人でつぶやいた。このときは笑えてきました。死ぬかもしれないのに、やっぱり俺、推敲するんだ、と。
僕自身もどこかで疑っていたんだと思います。自分とよく似た誰かを癒したい、勇気づけたいなんて言ってるけど、ポーズなんじゃないの? って。でもね、やっぱり推敲してたんです。わずかなリズムの狂いも許さず、句読点、改行に悩み、漢字をひらいたり、漢字にもどしたり、すぐそばで僕がささやいている状態になるまで、ブラッシュアップしてたんです。
そのとき僕は僕を、たぶん認めたんだと思います。一人で微笑みながら、いつしか涙ぐみながら、それでも微笑みながら── 僕は文章を推敲していました。
上に記しました『Blue 143〜150』は、そのとき夜中に〝来た〟『Blue〜』たちです。
いま読んでいただいているこんな文章を書くつもりはなかったのですが、少し説明しておかないと、「なんでお前にそんなことがわかるんだ?」と言われても当然な言葉たちですからね。僕という個人を超えた言葉なんです。あのときでなかったら書けなかった言葉です。恥ずかしさみたいなものももうなかったですね。あぁ、そうなんだ、みたいな感じです。あぁ、そうだったのか、みたいな。うん、そうだよな、というか。
だからこそ、書き残しておきたかった。
幸い僕はいま、すぐに死ぬことはなさそうです。それどころかあと10年、20年と生きられるかもしれません。いえ、もっともっと生きるつもりです。「あれだけ生きれば少しはいいものも書けるだろうさ」と嫌味を言われるくらい。
呆れられるくらい、生きてやろうと思っています。
「Blue あなたとわたしの本」は僕のライフワークとして、これからも書きつづけていくのかもしれません。
いま、とりあえず150回分ありますので(ここから厳選します)、書籍版を出版してくださる出版社・編集者さんとのご縁を、切に願っています。「Blue〜」をさらに良き状態にし、感受性が豊かで、傷つきやすく、ひとりが好きで、そして優しすぎる、そんな〝あなた〟へ届けるお手伝いをしていただきたいのです。コメント欄(いったん僕のところでとどまります)からお声かけください。心より、お待ちしております。
文章を書きつづけていきたいと願っています。
今日も命があることに手を合わせながら、
命があるのは、とても嬉しいです。
ベスト Blue
ベスト Blue 2
「Blue〜」になれなかった「Blue〜」たち
夢を行動に移すための(ある種 劇薬的な)思考法
ベスト Blue 4