ここでなら優しくなれるという場所があれば

Blue あなたとわたしの本 231

 

 

 いじめられたり、理不尽な目にあった経験のある方は、それらがフラッシュバックし、悲しみや怒りが湧き上がってくることもあるでしょう。再び傷つかないよう、心を閉ざし気味にし、日々を送っている方もいらっしゃるかもしれません。いつも穏やかで、どこにいても優しい人でいられたらそれに越したことはないのでしょうが、難しいものもあります。そうこぼされる方に、最近つづけてお会いしました。ほかでもない僕自身にも、そういった面があります。

  でも不思議なもので、ここでなら優しくなれる、という場所があるものなんですよね。それは子どもさんと過ごされるときかもしれない。ペットとの時間かもしれない。ある職人の方は作業をしているとき、穏やかな気持ちになれると言われました。そのときは無心に近いが、あとで考えるととても豊かな時間を過ごしているんだ、と。人に喜んでほしい、という気持ちにもなっているようです、と。

  僕の場合も、文章を書いているときがそうですね。僕にとって優しくなれる行為・場所です。ふだんはそれほど愛想のいい人間でもないんですよ。一人でいるのが好きだし、無神経なことをされるとわりとすぐ頭にきます。華やかな社交も僕の求めるところではないようです。

 いまも長い小説を書いているのですが、読んでくださる方が数日間、あるいは数時間、夢中でページを繰ってくれるのなら100回だって書き直せますし、実際そうしています。苦にならないのです。嬉しいのです。苦しいけど楽しいんです。ありったけの愛情を注ぎ込みたくなります。僕の心がほどける場所なのです。

  あなたにもそういった場所がおありになるのではないでしょうか。そんな場があれば── たったひとつあれば── いつもどこでも優しい人でなくてもいいようにも思います。人って、多かれ少なかれ多重人格的ですからね。でも優しくなれる場所があれば、知らず知らず、いつどこにいても思いやり深い人になっていくのではないかという気もします。なっていけるのではないかという気がします。少しずつ、少しずつでも。たったひとつ、美しくなれる場所があれば。

  過去に打ち負かされなかった証しは、自他を思いやれる人間になれるかどうかだとも思います。自己を慈しみ、他者のことも大切に思えるようになれば、過去に勝利したのだ と。そのためには、なぜかしら惹かれる〝その行為〟を信じることです。あなたにそなわった〝特性〟への信頼を揺るがせにしないこと。〝居場所〟を守ること。そんな場所がただひとつでもあれば、喜びの明かりで闇を消し去れる日が来るような気がします。生まれてきてよかったと、過去に、すべてに、手を合わせられる日が来るような気がします。 そう、願います。

 

 最後までお読みくださり、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 さぁ、今日も 〝あなた を〟はじめましょうか?

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