宇宙人に一家もろとも連れ去られそうになった話

エッセイ Blue 19

 

 

 あれは僕が小学校3年生の冬のことです。

 学校が終わって、友達の Bくんと帰路についていました。ふだんは5、6人で帰るのが常だったんですけど、あの日はどうしてだか二人だけでした。

 会話がふと途切れたときに、Bくんが、こう始めたんです。

「智(とも)、神社のわきの路地を入った奥に、◯◯さん、っていう家があるやろ」

 Bくんは神社の方向を顎で示します。僕は Bくんの険しい顔を見たあと、なんだろうと路地の奥へ目をやりました。Bくんは声を落とし、つづけます。「最近この辺り、引っ越しが多いと思わへんか? あれな、実はな、引越しと違うねん。一家もろとも消えてもうてん。 路地の奥の◯◯さんの家はな、あの家族はな、宇宙人なんや。宇宙人がみんなをさらっていっとんねん。それでな、今晩はな、智(とも)んとこの一家を連れ去ることに決まったらしいわ」

「ええーっ!?」

 

 目の前が真っ白になって家並みも消えてしまいました。

 つ、連れ去るって、ど、どこへ連れ去るんやろ? やっぱり宇宙なんやろうか? そ、そこでいったい、何をさせられるんやろ? 

 僕は Bくんと歩きつづけていたようですが、足を動かしている感覚はありませんでした。風景も戻って来ません。白いゼリーか何かのなかを漂っているような感じでした。

 右の肩に衝撃を感じ、ハッ、とそちらへ首を振るとBくんの口元が見えました。Bくんが顔を寄せ、僕の肩を叩いたようです。

「気の毒やけど、まぁ、くれぐれも気をつけるこっちゃな。くれぐれも、な」

 まるでおっさんのような所作とセリフを残し、Bくんはいつもの散髪屋の角を曲がり、見えなくなってしまいました。

 

 家に着き、やぐらごたつに入っても、僕の体はガタガタと震えていました。どうしよう、どうしよう、どうしよう。くれぐれも気をつけるこっちゃな、言われても、宇宙人相手に何をどう気をつけたらええねん。頭を抱え込みたい気持ちです。

「あんた どないしたん? こたつに入ってんのに震えて?」

 僕が帰っていることに気づいた母親が奥の部屋から出てきました。

 説明しました。どないもこないもないねん、と。「── 次はうちらしい。今晩、この家の人間を一人残らず、連れ去るらしいわ」

「ええーっ!?」

 

 

 
 ── ちょっと待てと。いまならもちろん僕もそう思いますよ。なんでオカンまで「ええーっ!?」やねんと。

 僕は一人っ子です。遅くに出来た子どもだったので、母親はこのとき46歳です。なんで46の大人が「ええーっ!?」になるんやと。おれは小3やと。それでもアホやけど、この世に出てきてまだ9年やと。ゆるせると。なんで46年も生きてる人間が「ええーっ!?」となるのか? ── 意味がわかりません。

 とにかく、こたつで震える人間が二人になりました。

 

「どないしはりましたん? 二人でえらい震えてぇ?」

 おばあちゃんまで出てきました。母親と身振り手振り、説明しました。

 こたつで震える人間が三人に増えました。

 ── 意味がわかりません。

 どういう一家だったんでしょう?

 

 家は西陣織関係の自営業。祖父が始めたものです。祖母も一緒にやっていたのですが、そのころは父と母が二人で営んでいました。商売っ気のない働き方で、昼休みを2、3時間取っていた記憶があります。父親は京都市内を大型バイクで一人走り回るのが好きな性分で、この時もいなかったということは、京都市内を大型バイクで一人走り回っていたのでしょう。

 

 母親が提案しました。一晩、室(むろ)のなかに隠れているのはどうか? と。室というのは、湿気でウルシを乾かすために掘った地下室のようなものです。

「あんなえげつない湿気のなかに一晩もおれへんよ」

 僕は反論しました。おばあちゃんも頷きます。おばあちゃんの口癖は、「わたしの鼻筋は綺麗やと思わへんか?」というものです。本当に綺麗な鼻筋をした、かわいらしいおばあちゃんです。

「相手は宇宙人や」とおばあちゃんは眉をひそめ、声もひそめます。「室に隠れることぐらいはお見通しのはずや。意表をついて地底からヌッ、と顔でも出されたら、おばあちゃん宇宙へ連れ去られる前に心臓発作であの世に逝ってしまう。まだあの世へは逝きとうない」、ほとんど半泣きです。あの世よりかはまだ宇宙の方がええんやなぁ、と僕は少し不思議に思いましたが、黙っていました。

 

 良い案も思い浮かばないまま三人で震えていたのですが、結局、こう話は落ち着きました。

 Bくんに助かる方法を聞きに行こうやないか、と。

 よく考えたらそれだけ事情に通じているわけだから、何がしかの解決策を持ち合わせていてもおかしくはない。いや、持っていないわけがないではないか、と。

 

 
 
 僕は怖いものにでも触れるように、 Bくんの家のインターホンを押しました。隣には母親がいます。半泣きのおばあちゃんはとりあえず家に残ってもらいました。

「はーい」という声、どっどっどっどっ、という足音に続き、Bくんの家のドアがやけに大きな金属音とともにひらきました。

 よその家の匂いのする玄関、── Bくん本人が目の前に立っています。

 僕と、僕の母親の顔を交互に見、口をあけています。

 Bくんは、前歯を見せていつまでも立っているだけなので、最年長の自分が何か言うべきだと思ったのか、母親が口をひらきました。

「智(とも)から聞きました。ど、どないしたら連れ去られんですむんどす? どんなことでもええんで、なんか知ってることがあったら教えてくれまへんやろか?」

 母親と僕は前傾姿勢となり、食い入るようにBくんの顔を見ていました。が、Bくんの口がさらにぽっかりと円くなっただけで、言葉は発せられません。

 たっぷり30秒は だれもしゃべらなかったと思います。沈黙が透明な布切れとなって頭からかぶさってくるみたいで、僕は気が遠くなりそうでした。不意に、鳥のような声が聞こえてきました。Bくんが発したものです。

「う、嘘です! 嘘に決まってますがな!! じょ、冗談を言うたんですううううー!!!」

 

 

 ── 怒りがこみ上げるどころか、この星でまだ生きていけるのだと思うと嬉しくて嬉しくて僕は飛び上がりそうになりました。母親はよその家の玄関でへたり込みそうになっていました。Bくんの家をあとにし、母親と二人で「ひひゃハハハ」と笑いながら駄菓子屋に寄り、チョコバットを30本買って帰ったのを覚えています。僕も母親も、そしておばあちゃんも、チョコバットが大好きだったのです。

 その日のチョコバットが格別においしかったことは言うまでもありません。おばあちゃんも本泣きになって食べていました。

 

 

 ── 問題は、翌日の学校でした。

 Bくんが学校中に言いふらしていたのです。

「と、智(とも)が 母(かあ⤴︎)さんと家に来よって『ど、どないしたら助かるんどす?』言いよったあああ!! 信じられへん信じられへん信じられへんんんんー!!!」

 

 

 廊下を歩いているとしばらくは1、2年生までが指をさし、「ほらあの人や、どないしたら隣人の金星人から身を守れるんどっしゃろ? って校長先生と教頭先生と PTAの会長の家を回らはったんは」

 ── どういう話になっているのかそれすらもすでにわかりませんでした。

 

 

 

 

 

 

 鼻筋が綺麗だったおばあちゃんも、京都市内を大型バイクで走り回るのが好きだった父親も、大笑いしながら駄菓子屋でいっしょにチョコバットを買った母親も── もうこの星にはいません。

 どこへ行ったんでしょう?

 だれが、どこへ、連れ去ったのでしょう?

 宇宙人がさらわなくとも、人は一人、また一人と、どこかへいってしまうことを僕も知りました。

 たわいなくも懐かしい、思い出だけを残して。

 

 

 

 

 あなたとわたしはこの星で、あと何をやっておきたいのでしょうね。

 どうしてもしておきたいこととはどんなことなのでしょう?

 

 
 だれかにどこかへ── 連れ去られるそのまえに。

 

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