夢を行動に移すための(ある種 劇薬的な)思考法

もうひとつの Blue 2

 

 

 今回の原稿は、「夢を行動に移すための(ある種 劇薬的な)思考法」というタイトルを付けた。〝ある種 劇薬的な〟部分については、終わりのほうで書くことになると思う。自己啓発書などでは今のところ読んだことがない。最後までお付き合い願えれば、嬉しい。

 

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 この世界で夢を実現するためには行動しなければならない。

「行動力」が必要となってくる。あたりまえだが難しいことでもある。そう感じている人は多いのではないだろうか。

  行動力について考えてみる。

 

 

 よほどのことがないかぎり人は行動などしない。

 とくに新しい行動などは。

 やらざるを得ない状況を自分で作って自らの背なかを押すという方法もあるようだが、そんなことのできる意思の強さを持った人間ならば放っておいても行動するだろう。

 たいていの人はそうはいかないのだ。

 行動しなければ〝現状〟がつづくだけだ。行動する勇気をふりしぼるくらいなら現状維持を選ぶのが人の常か──。新しい行動は、なかなかに難しい。

 

 もしあなたが、いまのままの日常が10年・20年・30年とつづいても、それはそれでしょうがないと思うのであれば、無理して行動などしなくてもいいのかもしれない。「行動しろ」などと言う権利は誰にもないのだから。

 あなたが、「こんな生活をあと数十年もつづけるのはごめんだ」と心の底から叫ぶのであれば、いま思い切った行動をしなければならないのかもしれない。

 行動したいのだがあと一歩の決心がつかない──そんなときは、ではどうすればいいのか?

 

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 行動できない理由の最たるものは、やはり「失敗するかもしれない」という恐れではないだろうか。とんでもなく恥をかくのではないか。打ちのめされ、二度と立ち上がれなくなるほど自分は傷つくのではないか──。

 だが行動に移せば、想定していた問題は意外と起こらないものだ。その代わり考えてもいなかった問題が起こったりは、する。

 やるまえにシュミレーションだけして悩んでいるのは時間と労力のつまり無駄なのだ。

 しっかりと準備することはもちろん大事だ。だが準備に準備を重ねているうちに自信が増すどころか不安が増してきて、「やっぱりやめておこう」となる人は多い。7割準備ができたらもう始めてしまってもいいのだ。6割でもいいのかもしれない。行動自体をやめてしまうよりかはずっといい。

 

 行動に移せば「リアル」な問題が立ち上がってくる。それに「リアル」に対処すればいい。対処するほうが想像だけして恐怖しているよりもずっと怖くないし、ある意味〝楽〟だ。

 動いているとエネルギーも湧いてくる。エネルギーがあるから動くのではない。動いているからエネルギーが湧いてくるのだ。原稿ひとつ書くのにも、「書けるだろうか?」と考えていると不安になってくるが、書き出せばアイディアも次々と生まれてくる。モティベーションも保てる。このことを知っている人は多いだろう。

 「気持ちが沈んだときの対処法」でも書いたが、行動すればなんらかの結果が出るだけなのだ。それをどう解釈するかはあなたに100パーセント委ねられている。失敗、と取ってあきらめてしまうのも、改善するための材料、と取るのも自由だ。成長するための貴重な経験、と取ればいいのだ。改善に改善を重ね、さらに改良していこう。

 失敗、という概念をこの機会にあなたのなかから葬り去ってしまうのはどうだろう? そうすれば失敗、などという辛気くさいものは金輪際なくなってしまう。そのくらい単純なことなのだ。失敗、という迷信とはこのさい縁を切ってしまおう。

 

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 何かを行動に移す場合、僕はやはり 、というものから考える。

 自らが必ず死ぬ、ということをだ。あなたにもいつか必ず死は訪れる。

 死から今を見つめてみる。

 イメージしてみよう。あなたもいまや90歳を越え、病の床にいる。どうやらあと数時間の命らしい。

 くいは残っていないだろうか。あれをやっておけばよかったと思うことはないだろうか。冒険すぎるように思え、けっきょく挑戦しなかったことはないだろうか。今となっては──あと数時間の命という今となっては──それは本当に冒険だったのだろうか? 命を取られるほどの危険性が本当にあったのだろうか?

 

 たいていはないのだ。たとえうまくいかなかったとしてもかすり傷がつく程度だ。かすり傷さえつかないことのほうが多い。

 あなたや僕は、何よりも心が傷つくのが怖かった、ただそれだけで〝そのこと〟を行動に移すのをやめてしまったのだ。 

 あなたや僕は死の淵で、こう思うかもしれない。

 

「あのときなら、あのときなら、まだ間に合ったのに──」

 

 もしそうだとしたら、悲しくはないだろうか?

 今あなたは(たぶん)90歳を越えてはいないだろう。死の床にもいないだろう。

 今ならまだ間に合うのだ。

 なんだってできるのだ。どんなことにもあなたは挑戦できるのだ。

 あなたがいま想定して恐怖していることがたとえ起こったとしても、それがいったいどうだというのか? なんだというのだろう? 

 命あるかぎり行動するために人生はあるのではないのか。水に浸かってしまえば思ったほど冷たくはないものだ。泳いでいるうちにもっと温かくも感じてくるだろう。そのひと掻き、ひと掻きに集中すればいい。他者の進み具合を気にする必要はない。どちらが格好よく泳いでいるかも関係ない。あなたはあなたのスピードで、あなたはあなたの泳ぎ方で進めばいい。泳ぐことを楽しめばいい。

 過去や未来を見るときも〝意識的に〟過去や未来を見るようにしよう。〝無意識に〟過去や未来を見てしまうから気持ちが沈んでくるのだ。〝参照〟が済んだらすぐ、いま・ここ に帰ってこよう。そしてまた、ひと掻き、ひと掻きに集中しよう。

 いま・ここ を全力で泳ぐ。それが──いちばん楽な生き方であるようにも思う。

 

 

 人にどう思われるかが気になって動けないということもあるだろう。そしてとうとうその行動をやめてしまう──。これほど馬鹿げたこともない。

 なぜなら あなたや僕が何をやろうがやらなかろうが、人は関心もなければ興味もないのだ。気にかけてさえもいないのだ。

 だが、だがだ──ごくごく一部ではあるかもしれないけれど──あなたがそれをやってくれたことを喜んでくれる人たちも出てくる。間違いなく現れる。

 ──このふたつともが、事実。

 

 漠然と恐れるのではなく、このふたつの真実を押さえたほうが、逆にずっと動きやすくなる。

 あなたのことなど誰も気にかけてはいない。あなたのことが気になってしかたがない人たちがいる。

 さぁ、自分を信じて、新しいその一歩を踏み出そう。

 

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【それでも最初の一歩が踏み出せないという人へ】

 

 やっておくべきだと思うことをノートに書く。思いつくだけ書く。そのなかからどうしてもやるべきだと心の声が聞こえることを残す。たくさん残っていたらそのほうがいい。

 ここまでやったら、あとは一時的に 心を消す。

 それらを行動に移す。淡々と、機械的に、行動に移す。

 淡々と、機械的に、夢を投下していく。

 

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 ここまで書いてきたことが今回の原稿の〝劇薬的〟な部分なのか?

 そうではない。これからその部分を書こうと思う。

 これも僕が夢を行動に移すときに使う思考法のひとつだ。自己啓発書などでは今のところ読んだことがない。

 

 

 少し個人的な話になって恐縮だが、僕は子供のころから、いったいココはどこなんだ? という感覚が強くあった。幼稚園のころからあったと思う。自分が今どこにいるのかがわからないからとても不安だった。大人たちはみなわかっているのだろうと思い込んでいた。中学校に上がるころには、ほとんどの人間はそんなことを考えてもいないのだということがわかってきた。「いったいココはどこなんだ?」などと思っている大人はいなかったのだ。

 人は死を怖がる。死とは何かがわからないからだ。でもそれ以前に、今いるココがどこなのかが僕にはわからない。いまいるココがどこなのかもわからないのに、人はどうして死ばかりを恐れるのだろう?

 ノンフィクションはもちろん、小説を読んでいても──そのほとんどが──まるでココが確固たる現実であるかのように書かれていた。そしてそこで恋愛をしたり、殺人を犯したり、金を追いかけたり、戦争をしたりしていた。だから僕には、おおかたの小説や映画が面白いとは思えなかった。ひどく幼稚なものに映った──。

 

 ──原稿の表題に戻る。

 

 「夢を行動に移すための(ある種 劇薬的な)思考法」

 

 

 つまり、いったいココがどこなのかもわからないのだから、あなたの胸に芽生えたその夢を行動に移すのをためらうほどの恐怖など何ひとつないのだということだ。

 その恐怖にはその値打ちすらもないのだ。ここが確固たる現実なのだとしたら、それは行動するのも怖いだろう。〝失敗〟もしたくはないだろう。だが、いったいココがどこなのかもわからない我々に、いったいどんな〝失敗〟があるというのだ? 失敗もなければ成功もないのではないのか。そもそも失敗や成功とはいったい何を指すのだ?

 どこだかわからない生を生き、どこだかわからない死を死んでいく──。「我々はどこから来てどこへ行くのだろう?」どころではない。今いるココすらもどこだかわからないのだから。夜見る夢となんら変わらない、途方もない〝謎〟のなかに存在しているらしいのが我々なのだ。

 

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  僕自身は行動力のある人間ではない。

 ここまで読み進んでもらい〝落ち〟のようで恐縮だが、本当にそうなのだ。

 行動することが怖くて怖くて仕方がない人間が僕だ。

 自分ほど行動することに恐怖を覚える人間もそうはいないのではないかと思っている。だからこそ「ここは行動すべきだ」と決断したときは、こういったいくつかの思考法を使って、何とか最初の一歩を踏み出している。ときに、足をブルブルと震わせながらも──。

 

 まとめてみる。

 

◯ 行動に移してしまったほうが、立ち止まって想像だけしているよりもずっと怖くない。

 

◯ 今もし死の床についていたとしたら後悔はしないだろうか? と考えてみる。

 

◯ あなたがそれをやってもやらなくても誰も興味もなければ、気にもしていない。それをやることによって誰かが必ず興味をしめし、喜んでもくれる。このふたつともが事実。

 

◯ 「やるべきことリスト」を作ったら、一時的に心を消す。機械的に、淡々と、夢を行動に移していく。

 

◯ ココがいったいどこなのかすらわからないのが我々。そんなところにいて遠慮することなど何もない。行動するのをためらうほどの値打ちは、その恐怖には、ない。

 

 

 

  僕はこういったことを考え、何とか新たな一歩を踏み出している。これからも出来るかぎりの挑戦をつづけていきたいと思っている。人生とは行動することなのだから。好むと好まざるとにかかわらず──。

 

 この原稿が、一歩を踏み出したいと思っている誰かの役に立つならば、とても嬉しい。

 

〝劇薬〟などという大仰な言葉を使ったが、そんなたいそうなものでなければいいがとも祈っている。あなたの心をかえって暗くしていなければいいのだけれど──。

 

 

 最後になったが、それでも僕はこの世界を信じています。〝わからない〟という、魅力にあふれたこの世界を──。

 

 

 あなたの毎日が胸躍る楽しいものでありますように。

 心からそう願っています。

 

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