Blue あなたとわたしの本 272
謎のメモ、美しいメタファー
平山は清掃用具までを自作し、公衆トイレを徹底的に磨き上げます。見えない部分は鏡を使って点検するほどの徹底ぶりです。公共トイレの清掃員がこんな方だったら、理想的ではないでしょうか。
映画には、何者かはわからない人物とのメモのやり取りの場面が挟みこまれています。その人物は、まるで平山の仕事ぶりを 逐一 見ているかのようです。
これら一連のシーンは、利用者が感謝の気持ちを表したもの、と考えるのが最も直接的な解釈でしょう。美しく保たれたトイレを見、その清潔さに感動した人物が、感謝の気持ちを伝えるためにメモを残した、と。平山の、見返りを求めない奉仕の行為が、誰かに届いているのです。
「PERFECT DAYS」に出てくる不思議なメモは、人間が本質的に持っている繋がりを求める気持ちを表すための、美しいメタファーとも受け取れます。「thank you!」と書かれたメモを、大切そうにポケットにしまう平山からは、〝「ありがとう」を受け取る瞬間、人間は最高の喜びを感じるようにプログラムされている〟という小林正観氏の説も思い起こさせます。
重心が移された〝成功〟の定義
〝人に喜ばれる存在となること〟が人生の目的であるとする小林正観氏の成功論は、世間一般で広く認知されている「富の獲得」や「社会的地位の向上」といった概念とは一線を画します。成功を、「何かを持つこと」や「何かを成し遂げること」ではなく、「どのような存在であるか」という状態へと転換させるのです。内的な充足感と他者との関係性の質へと、成功の重心が移された、とも言えるでしょう。
この視点の切り替えは、外部的な基準を追い求める終わりのない競争から人々を解放し、魂の領域へと人々を導く可能性を秘めているとも言えそうです。過度な競争や燃え尽き症候群が蔓延する社会において、〝人に喜ばれる存在となることが人間としての成功〟という考え方は、強力な代替案を提示します。〝人に喜ばれる〟といってもきらびやかな偉業である必要はありません。平山の日常のように、地道な奉仕で充分です。
「PERFECT DAYS」が劇場で封切られたとき、「上昇志向のカケラもないこの主人公が大嫌いだ」という声も聞かれたのを憶えています。反対に、「平山が羨ましい」「こんなふうに生きていけたなら」と、まさに映画のキャッチコピーそのままの、切実なつぶやきも多く見られました。映画館に何度も通う人。逆に過剰なまでに作品を叩く人。どちらにせよ、映画「PERFECT DAYS」は、人々の心の奥に何かを投げかけたのです。映画は、1年もの長期上映となりました。今もどこかの町で掛かっています。「1年間のロングランの舞台挨拶って、僕もやったことがない」とベテラン俳優である役所広司さんも、微苦笑を浮かべながら舞台でおっしゃっていました。
三つの視点から見た、平山の〝成功〟
私が受け取ったインスピレーションである、〝人間にとっての成功とは自他に優しくなること〟という定義を当てはめても、平山は成功者でした。
私は、坐禅を何十年も続けていることもあり、〝いま・ここを生きる〟ということを大切にしています。平山はまさに〝いま・ここ〟を生きているように感じます。夢や希望といった特定の目的のために生きるというよりは、〝いま・ここに在る〟ことに重きを置いているふうに見えます。よって平山は、何でもないことを楽しめます。木漏れ日や、葉むらのゆらめきさえも。刹那・刹那 が存分にきらめくのです。そんな平山は私にとって、やはり〝成功者〟と言えます。
そして小林正観さんの定義、〝人に喜ばれる存在となること〟が人生の目的、を当てはめても平山は成功者でした。公共トイレをピカピカに磨き上げられるほどに、〝我(エゴ)〟を削ぎ落とした境地に彼はいます。姪っ子のニコからは──母親に引き取られたあの夜──まさに、「ありがとう」の言葉をもらっています。「おじさん、ありがと」と。平山は、その存在そのもので、ニコの心をほどいたのです。
ある意味 成功とは、自らを〝希薄〟にしていくことなのかもしれません。〝エゴ〟を捨て、他者のために奉仕することなのかもしれません。それが結果的に自らの幸福にも貢献します。自分が薄くなった分だけ、自分の苦しみ、も、また薄くなるのです。
この世のものではない「PERFECT DAYS」
勝ち組や負け組などと呼ばれる競争や物質主義が加速し、ストレスや鬱、孤独感が蔓延する現代社会において、2023年に公開された映画「PERFECT DAYS」は、外的な達成や物質的な所有だけではなく、他者との関係性と魂の純度に真の豊かさ、〝成功〟を見い出すという、強烈なカウンターメッセージを含んでいた可能性があります。だからこそ──好き嫌いはあるにせよ──世界中の人々の心をざわつかせたのです。
つながっていない世界の中で、それでもつながりたいと、私たちは切望しているのかもしれません。影と影とを重ねたいと。〝よろこばせごっこ〟をしたいと。
しかしながら映画「PERFECT DAYS」は、単なる〝癒し〟の物語でもありません。例のラストシーン、車を運転しながら涙をこらえる平山の表情は、観る者に様ざまな解釈を促します。このシーンがあることによって、芸術作品としての深みがグッと増しています。多角的な映画として存在することに成功しています。
「PERFECT DAYS」は、観る人それぞれの心に、これからもいくつもの問いを投げかけるでしょう。〝完璧な日々〟とは何かと──聖なる呪いのように──思い巡らすことを強いるでしょう。そんな美しくも恐ろしい作品です。
「PERFECT DAYS」という「公案」を新たに背負わされたまま、私たちはこれからも〝謎〟のなかを泳ぎつづけます。
映画「PERFECT DAYS」は、やはりこの世のものではないのです。

今回も、長いレビューを最後までお読みくださり、ありがとうございました。感謝いたします。
智(とも)
映画館で初めて観たときのレビューはこちら。
Blu-ray で2度目に観たときのレビューはこちら。
映画「PERFECT DAYS」、3回目を観て想うこと ──人間にとっての〝成功〟とは何か? vol.1
映画「PERFECT DAYS」、3回目を観て想うこと ──人間にとっての〝成功〟とは何か? vol.2
「わかんないことだらけ」の人生、〝謎〟のなかを泳ぐ私たち
映画「PERFECT DAYS」、3回目を観て想うこと ──人間にとっての〝成功〟とは何か? vol.3
人間にとっての成功とは〝人に喜ばれる存在となること〟
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