Blue あなたとわたしの本 268
「小説を書いているといっても趣味なんだよね」
「プロじゃないんでしょ」
こういった言葉に傷ついたり、憤りを覚えた人は多いのではないかと思う。文筆だけで生活しているわけではないのも事実だから、言い返すことができない。本気で取り組んでいればいるほど、心のなかで歯ぎしりしたことだろう。
あなたとわたしは四六時中、文章のことを考え、小説のことを想う。
書いているとき、 自分が消えてしまうこともある。ハッ、と時計を見る。こんなに時間が経っていたのか。 楽しかった、というのでもない。ただ、充実していた。コンピュータのモニター。物語が先へと進んでいる。あるいは推敲がほどこされ、文章がカチリ、とかたちを成している。
書いていたその時間、あなたとわたしは小説家以外の何者だったというのか。それだけで暮らしが立っていようが、いなかろうが、その瞬間・瞬間、わたしたちは小説家だったのだ。
人は未来を見すぎることによって悩み、苦しむ。この原稿は本になるんだろうか。誰か読んでくれるのだろうか。いつになったら小説家だと胸を張れるんだ?
小説家である歓喜に、〝いま・ここ〟で、あなたとわたしはすでに包まれていたのに。
小説家になる、のではなく、小説家であれ、ばいいと思う。 毎日時間を確保し、自分が消えてしまうほど、小説家であればいい。
あなたとわたしは、わずか数十年の人生のなかで、なぜかしら惹かれるもの・惹かれつづけるものを探し当てた。大切なものを見つけられた。なんという幸運だろう。
小説と一体化した瞬間をたくさん持つことだ。自力ではない。他力でもない。〝何者かとの共同作業〟で、つくる。だから飽きない。「そうだったのか!」を、完成までに何度も体験する。謎が解ける。発見に次ぐ発見だ。鳥肌がたつことだってある。書き直すことが楽しい。純粋な歓び。何度も何度も読み返し、何回も何回も書き直すことによって、〝何者か〟の意図も明瞭になっていく。何を言わんとする物語なのかが飲みこめていく。〝何者か〟と一体になっていく。創作の神秘と手をたずさえて歩めることの歓び。できる、という確信、湧いてくる感謝。〝豊穣な無〟から、小説は生み出される。
小説家である瞬間・瞬間が、あなたとわたしを導いてくれることだろう。
うつむくのはもうよそう。陽射しを顔に浴びよう。食いしばった口もとをゆるめ、ほほ笑もう。好きだったあの唄を口ずさもう。
小説家になる、のではなく、小説家であれ、ばいい。これ以上ない歓びを、あなたとわたしはすでに味わっているのだ。

「小説家」の部分を、あなたのやられていることに置き換えて読んでもらえるのも嬉しいです。
「詩人」や「エッセイスト」、「写真家」「画家」「音楽家」、などに。
純粋で、力もあり、生きることに少し不器用なあなたが、僕は好きです。
智(とも)


