Blue あなたとわたしの本 271
平山は〝敗北者〟なのか?
人間にとっての〝幸福〟とは、そして〝成功〟とは、果たしてどういったものなのでしょうか。 私自身、この問いを何十年も考えてきました。考えるだけではなく、禅寺で坐禅を組み、いまも答えを求めつづけています。
ごくたまに思考が止まる瞬間、ふわっと解答らしきものが胸に宿ることもあります。言葉そのものが来るわけではなく、大まかな意味内容が降りてくるのです。そのあとに、何とか言語化しようと試みます。いつもそういった順番です。
「インスピレーション ──直覚的に認識されるということ──」でもこの感覚について書いています。
人生の意味とは──人間にとっての成功とは──自他に優しくなることだ、という概念も、以前に受け取りました。自他に優しくなることが成功? なんだかわかりにくい定義だし、インパクトも弱いなぁ──というのが最初の印象でした。
「Blue あなたとわたしの本 221 生きる意味とは自他に優しくなることだと思う」で、このことも(ところどころユーモアをまじえながら)言語化しています。
これを書いたのは、もう6年以上前になるんですね。
成功とは自他に優しくなること、という定義を平山に当てはめれば、平山は〝成功者〟と言えるのではないでしょうか。様ざまなことを経験し、自分らしくない事柄からすべて降りた匂いが、平山にはします。自分に優しくなり、結果的に他者にも優しくなった──そんな気がします。私の尺度では、平山は〝成功者〟なのです。
平山に惹きつけられる人々
平山の心の純度を感じ取れない人間からは、失礼な言動を取られることもあるでしょう。公園で出会った若い母親や、妹・ケイコのように。しかし平山の高い内面を感知できる人間は、平山に惹きつけられるのです。公園で泣いていた男の子や、キャバクラ嬢のアヤ、姪っ子のニコ、小料理屋のママ、などのように。タカシもチャランポランな面はありますが、基本的には平山のことが好きなのでしょう。借りたお金も、彼はいずれ返しにくるはずです。
この世的なモノサシに左右されず、人の心の〝境地〟の見える目を持ちたいものだと──自戒を込めて──私も強く願っています。
人間にとっての成功とは〝人に喜ばれる存在となること〟
今年になってからもあちこちを訪ね歩きました。「人間にとっての成功とは何なのでしょうか」と問いながら。
ある僧侶は言われました。「最澄の『忘己利他(もうこりた)』の生き方ができれば、それは人間としての〝成功〟と言えるでしょうな」
「『忘己利他』──己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり、というやつですね」
生意気にも私は答えたのですが、それ以上のことは知りませんでした。『忘己利他』についてもっと教えてもらえそうだとワクワクしました。ですが僧侶は、ここで思いがけない名前を口にしました。
「小林正観さんは人間の生きる目的を、〝人に喜ばれる存在となること〟と言われていますな」
「小林正観さんですか。正観さんのことはお名前しか存じ上げません。著作も読んだことがありません。正観さんも僧侶でいらっしゃいましたか?」
「いや、ちがいますな。肩書きは心学研究家ということです。しかしながら、『般若心経』の理解なども、私は面白いと思っています。折りに触れて御本を拝読していますよ。あなたのお考えをうかがっていると、正観さんのことを、どうも気に入られそうですな」
私は、小林正観さんの最後の著作「淡々と生きる 人生のシナリオは決まっているから」を読み、そこからさかのぼって次々と読破していきました。
たしかに小林正観氏は、他者に貢献し、感謝されること──つまり〝人に喜ばれる存在となること〟が人生の目的だと繰り返し説かれています。単に欲しいものを得たり、何かを成し遂げたりすることではなく、「ありがとう」と言われる存在になることが人間としての〝成功〟なのだ、と。
自己の存在価値を、地位や名誉、あるいは車や家などの物質的獲得ではなく、他者からの感謝に見い出すという価値観の転換を彼は促しています。
誰かの役に立ち、その結果として「ありがとう」を受け取る瞬間、人間は最高の喜びを感じるようにプログラムされている、とも正観さんは説きます。これには膝を打ちました。私なども、誰かを楽しませたいという欲求が強い人間です。それが出来たときは、いつも最上の喜びを感じます。お金になろうが、ならなかろうが、です。いつまでもこんな性分でいいのだろうかと、悩んだこともあります。小学生のころのまんまなのです。なので、「プログラムされているのだ」という正観さんの主張を知り、あぁ、やっぱりそうなんだ、これでよかったんだ、と、ホッとするものがありました。
「アンパンマン」の作者であるやなせたかしさんも、「人が一番うれしいのは、人をよろこばせることだ」とおっしゃっていますね。人生は「よろこばせごっこ」(お互いに喜ばせ合うゲーム)であり、全員がそれを実践すればこの世は天国になる、とも。
──本当にそうなんですよね。本当にそうだと思います。泣きたくなるほどそうだと思う。でも人間は、そんなシンプルなことができないんですよね。だから色々なところにひずみが生じ、天国とはほど遠い現状がつづいているのでしょう。
ハッカーとかも、何なんでしょうね。コンピュータウイルスだか何だか知りませんけど、人に迷惑をかけて、そんなことで得たお金に喜びを感じるのでしょうか。情けなくて涙が出ますよ。その才能を、人を喜ばせることに使ってほしい。
アルフレッド・アドラーも、人が「自分には価値がある」と感じられるのは、「自分の行動が共同体にとって有益である」と感じられたときだけだと書いていますね。「仕事の本質は『他者貢献』である」とも。
人間にとっての成功とは〝人に喜ばれる存在となること〟というこの定義を平山に当てはめ、次回の〈完結編〉でさらに深く考えていきたいと思います。
vol.4 この世のものではない「PERFECT DAYS」 〈完結〉 へ つづく

映画「PERFECT DAYS」、3回目を観て想うこと ──人間にとっての〝成功〟とは何か? vol.1
映画「PERFECT DAYS」、3回目を観て想うこと ──人間にとっての〝成功〟とは何か? vol.2
「わかんないことだらけ」の人生、〝謎〟のなかを泳ぐ私たち
映画「PERFECT DAYS」、3回目を観て想うこと ──人間にとっての〝成功〟とは何か? vol.4〈完結〉
この世のものではない「PERFECT DAYS」



