エッセイ Blue 6
家から1分も歩かないところに飲み物の自動販売機があり、よく買いに行く。四月に入ったばかりのころだ。その日も温かい缶コーヒーを買いに行き、商品と対面すると、すべての飲み物が青地に白文字で「つめた〜い」となっていた。
「 なんでやねん」とつぶやいた。どこの国の人であろうと「なんでやねん」とつぶやいたと思う。
四月なのだ。それもまだ入ったばかりなのだ。なぜにして、すべて「つめた〜い」なのだ? まだまだ風が「つめた〜い」でしょうが。「あったか〜い」を置いとかないでどうすんのよ?
── ありえない。どう考えても、誰が考えても。
あまり長いあいだ自販機の前で放心していても近所の人にますます不審がられてしまうので家に戻った。ショックのために、布団にうつ伏せで倒れこんだ。どこの国の人であろうと布団にうつ伏せで倒れこんだと思う。
僕は人に会うたびに、「ありえないでしょ?」と話を振った。「そうだね」と、みな表情のない声を返すだけだった。
月日は流れ、七月になった。七月も下旬のことだ。
僕は一人で散歩をするのが好きで、歩いているうちにある種の瞑想状態というか、やたらと気持ち良くなってきて、気がつくと1時間以上 歩いていることがけっこうある。
その日もすでに2時間近く歩いていたようで、ひかりの色が夕方の気配を加え、妙に明るく黄色かった。汗もかいていた。足元がなんだかふわふわし、こめかみのあたりはズキズキする。気のせいか、道路もうねって目に映った。
「── これって、熱中症ってやつなんじゃないの?」
マズい、とさすがに思った。早く冷たいもの── 水分補給をしなければ。
チノパンツのポケットをさぐった。大丈夫。財布は持ってきた。水── いや、スポーツドリンクを飲まなければ。
自販機を探した。
どこにもない。
やけに山肌が近い。家も点々としか建ってない。畑や、雑草の生い茂った空き地が目立つ。
「ここどこなん?」
えらいところまで歩いてきてしまったらしい。ひと気のないほうへひと気のないほうへと進みゆく習性があることは自覚していたが、ここまでとは思わなかった。
そんなことよりも、スポーツドリンク。自動販売機を探さねば。
戻れど戻れど、ない。どこにもない。
あった、と思ったらタバコの自販機だった。タバコなんか吸わへんちゅうねんと力なくつぶやき、スポーツドリンクを探す。
道がもう、はっきりとうねうねしている。道がもうはっきりとうねうねしてるっちゅうねんと力なくつぶやき、自動販売機を、自動販売機を──
── あった!
自販機があった!
機械の側面、赤地に白文字、
見慣れた「coca-cola」のロゴ。
あった!
あれはタバコの自販機ではない、
足を速めた、
走った、
上下に弾みながら自販機が近づいてくる、
財布を取り出した、
正面に回った、
飲み物と対面した、
飲み物──
赤地に白文字で「あったか〜い」となっていた。
「なんで『あったか〜い』やねん⁉」
目を疑った。
自販機自体はたしかに生きている。
生きているが、下半分はどういうわけだか商品が何も入っておらず、蛍光灯がむき出しになっている。上の列にコーヒーやら紅茶花伝やらミルクココアやらが並んでいる。みな口を揃えて「あったか〜い」とアピールしている。
膝から崩れ落ちそうになった。
七月の下旬なのだ──
何度 見ても「あったか〜い」しかない。上部のパネルには〝enjoy! cocacola〟
「enjoy! できるか!coca-colaすらないやないか!」
叫んだら頭がクラクラした。山からこだまが返ってきた。
「あったか〜い」でもとりあえず飲んで水分補給したほうがいいのかもしれないが、いまは紅茶花伝だのミルクココアだのをどうしても飲む気がしない。「北海道産生クリームをたっぷり使用!」とココアは自慢げだが、気持ち悪くなりそうだった。
「なんで『あったか〜い』やねん、なんで『あったか〜い』やねん」とそれしかしゃべれなくなった人のように何度もつぶやいた。
とりあえず── 家に戻ることにした。冷蔵庫のなかにあったはずのアクエリアスのことを考えながら、どことも知れない道を通って── ふらふらになりながら── クラクラになりながら── ふらふらのクラクラになりながら──── 。
*
アクエリアスを大きなグラスで2杯飲み、布団に倒れこんでそのまま眠った。こんどはちゃんと仰向けになって 。
1時間後に目を覚ましたら普通に戻っていた。キョトン、としばらく布団の上に正座していた。事なきを得てよかったと思った。
あれはいったい、なんだったのだろう?
四月に、「『あったか〜い』がないのはおかしい『あったか〜い』がないのはおかしい」と思いすぎたせいで、ある種の〝引き寄せの法則〟が働いたのだろうか?
なんだったのでしょう?
すべてはいまも── 深い謎のままだ。