あなたとわたしを傷つけるものなど本当は何もないのだということについて

Blue あなたとわたしの本 167

 

 

 行動するということは、

 発信するということは、

 傷つくこともあるということ。

 いっさい

 なにもしなければ、

 危険性はないだろう。

 

 傷つきたくないから

 何もしないというならば、

 自分しか

 大事なものはないということに、

 近くなってしまうのではないかと、

 思ったりもする。

 

 わたしよりもずっと

 境地の高い人が、

 わたしの書いたものを読んだとしよう。

 その人は笑うだろうか?

 馬鹿にするだろうか?

 

 たぶん、

 そんなことはないのだ。

 

 微笑ましく思い、

 温かく見守り、

 成長を願い、

 進歩を認めれば 我がことのように、

 喜んでくれるはずなのだ。

 

 あなたよりも

 心境の低い人が、

 あなたの作品を見て、

 笑うことはあるだろうか?

 

 それはあるかもしれない。

 

 まだその人には、

 あなたのやっていることの

 レベルの

 高さに気づくところまで、

 目が、

 心が、

 追いついていないのだから。

 

 つまり、

 どちらにせよ、

 あなたを

〝本当の意味で〟

 傷つけるものは、

 ないのだということだ。

 恐れるものは何もないのだということ。

 恐怖は、

 あなたのなかにしか、

 なかったのだということ。

 

 発信して

 傷つくとするならば、

 それは愛、ではなく、

「愛して欲しい」、と

 叫んでいるだけだったのかもしれない。

 

 ただただ、

 それを

 させていただく。

 ただただ、

 祈らせていただく。

 手も、

 体も、

 心もないまま、

 それを

 させていただく。

 させていただくさえも、

 消えているままに── 。

 

 そんな

〝何か〟として、

 瞬間、瞬間、に

 ありつづけることが、

 もしできたなら、

 もしできたとしたら───  

 

 

 楽になるのかもしれないなぁ。

 

 

 あなたも、

 わたしも。

 

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