好きな作家の新刊が出るとそれだけ持って旅に出ることにしている

エッセイ Blue 13

 

 

 好きな作家の新刊が出ると、それだけ持って旅に出ることにしている。

 その本を読むためだけの旅だ。旅というか── 日常から自分を切りはなすのだ。その作品世界だけに集中するために。一週間前後を、その本だけに捧げる。

 たいして遠くへ行くわけではない。近すぎても気分が出ない。電車を乗り継いで 3、4時間といったところがいい。座席で読む。窓の外を眺める。またページに目を落とす。窓の外を見わたす。読む 。

 目的地(直感で選んでおく)に着いたら、まずホテルへチェックインする。旅館でもいいのだが、一週間もいると顔を覚えられてしまう。気を使って話しかけられたりもする。

 大きめのビジネスホテルがやはりいい。放っておいてもらえる。泊まっていることすら忘れられている感じがいい。くつろげる。

 清潔なベッドで横になって読む。書き物机に向かって読む。ソファで読む。

 本をリュックに入れ、初めての町を歩く。町の匂いを嗅ぐ。見慣れない名のスーパー。耳に届く人々の言葉。イントネーションの違い。

 公園のベンチで読む。喫茶店で読む。レストランで読む。

 時折り、ページから目をあげ、あたりを見る。見知らぬ人々。見知らぬ商店街。見知らぬ団地の窓。夜景。朝の光。黄昏のなかの木々。また── 夜。

 誰とも口をきかない。いろいろな場所で、ただページを繰りつづける。数日間を、その本だけに捧げる。

 

 

 僕の本棚には、そのようにして読破した書物が、何十冊か並んでいる。何百冊はないと思う。〝特別な本〟は、それほど多くはない。

 そんなふうにして読んだ本のページを開くと、その本を持って訪れた町の風景や匂い── 光なんかが── 鮮やかによみがえってくる。

 現実の風景と、本のなかで描写されていた風景が溶け合っていて、どこでもない景色を作り出していたりもする。僕は、脳裏に浮かびあがってくるそんな光景を、うっとりと眺める。その風景のなかを歩いたりもする。飽きることなく、その世界をさ迷う── 。

 

 いつか、僕もそんな本が書けたらな、と思う。誰かが、それだけを持って、旅に出てくれるような本を。数日間を捧げてくれるような本を。その人の記憶とあたたかく結びついている本を──。

 

 僕はそんな〝誰か〟のことを、

 まだ見ぬ〝誰か〟のことを想いながら── 今日も言葉をつむいでいるような気がする。

 

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