Blue あなたとわたしの本 266
僕が思う「成功者」とは、寿命が尽きるその瞬間まで生ききった人です。
頭の中に、クエスチョン・マークが飛びかった方もいらっしゃるかもしれませんね。それだけか? それだけで「成功者」だと言うのか? と。
そうです、それだけです。そして、それはもの凄いことだと僕は思う。「成功者」というより、「大成功者」だと感じます。「大成功者」です。
わけあって僕は、年間 かなりの数の死者をお見送りします。名前を聞けば誰でも知っている有名人の方もいらっしゃったし、富豪の方もいました。反対に、生活保護を受けていらっしゃる方も珍しくはありません。
それらの死者を見送るとき、「あ、この人は立派な人だな、この人は成功者なんだな、この人は落伍者だったんだな」などと感じるかといえば、感じないのです。
あるのは等しく、尊敬の想いというか、畏怖の想いというか、畏敬の想い、という言葉がいちばん近いかもしれません。
いま、この方は、たった一人で、「死」というものを体験された。たった一人で、乗り越えられた。
──もの凄いことです。とてつもない尊敬の念をおぼえます。畏怖、という言葉さえ思い浮かびます。いえ、やはり畏敬、でしょうか。
僕より少し先に、 この世を卒業していかれた、先輩を想うような気持ちも、そこには混じっています。 死者のお顔には、誇らしげで、若者のようでもあり、どこかホッとしているふうでもある、穏やかな、りりしい、美しい表情が浮かんでいることが多いです。
「お疲れさまでした」と、 胸の底から絞り出るような想いとともに、僕は低頭しています。「よくがんばられましたね」と、 さらに頭が下がってきます。心のなかでは手を合わせます。お疲れさまでした、と。よくがんばられましたね、と。あなたを尊敬いたします、と。
本当に、凄いことです。寿命が尽ききるまで生きられたのですから。
それでは、自ら命を絶ってしまった人たちは「失敗者」なのかというと、そうも思わないのです。
一線を越えてしまった人というのは、 最後の瞬間、もう思考力もなかったと思いますよ。思考力があるうちは人は死なないですよ。死ねないです。
どれだけ死にたくても、怖くて実行できないです。思考力や、感情が残っているうちは。
わたしも昔、危ういところまでいったことがある人間だから、わかる。死ねない。
だから、最後の一線を越えられた人というのは、 もう思考力も感情もなかったのだろうなと想像します。もう1日、 生きてほしかったですけどね。いえ、もう数時間、もう1分でもいい。もう数瞬、持ちこたえてくれたら、踏みとどまれたかもしれないのです。正気が戻ってきたかもしれないですから──。
でもそのときは、ふわっと、 実行できてしまったのでしょう。
残念です。残念ですよ。あともう少しだけ、待ってみてほしかった。そうすれば、何年かして、何十年かして、 あのとき踏みとどまってくれた自分自身に、感謝の手を合わせる日が来たかもしれないのです。それは充分にあり得たのです。状況というのは変わりますからね。そして寿命を全うし「大成功者」になることも、あり得た。
「これこれをできていない人間はダメだ、ダメ人間だ」なんてものはなかったのに。〝世俗的な価値観〟を信じこんでしまったのでしょう。自分を壊すまえに、〝世間の価値観〟を疑ってほしかった。そちらのほうを壊してほしかった。彼らは本当に正しいことを言い立てているのだろうか、と。
自死を選んでしまった人たちも、ギリギリまでは生きたのです。がんばったのです。だけど、「成功者」で終わってしまった。「大成功者」にはなれなかった。言いかえれば、「失敗者」などというものは見当たらないのです。「大成功者」と、少しだけ弱かった、イノセントな「成功者」がいただけです。そう思う。
僕にとって「大成功者」とは、寿命が尽きるその瞬間まで生ききった人のことです。
もちろん、一般的に人が思う「成功」を追いかけるのもよいでしょう。地位でも、名声でも、金銭的成功でもいい。なんでもいいと思う。この世ならではの面白さです。否定されるものではない。成し遂げられたのなら素晴らしいことです。追い求めればいい。──出来うるならば、自他に喜びをもたらす活動にそれらの力を使ってほしい。
でも、ただ、本当は、 天寿を全うするだけで途方もない偉業なのです。「大成功」なのです。この考えを──心のどこかに収めていただければと思い、今回のこの文章を書いています。
あなたの大切な人も、すでに何人かは天に還られたかもしれない。その人たちが、もし寿命を全うされたのなら「大成功者」です。「大成功者」ですとも。
そんな新しい目で、彼らを見てあげてください。ほわっと胸が、いま、あたたかくなったでしょ? ほほ笑みに似た喜びがふくらんだでしょ? あなたの大切な人たちは、「大成功者」として、この世を卒業していかれたのです。 自らの命を生ききる強さを持った、おそれうやまうべき人たちだったのです。
──では、うん、あなたとわたしも、「大成功者」を目指しましょうか。
「大成功者」に なってやろうよ。
もういちど、これも繰り返させてください。状況というものは変わります。ずっと同じままということはないの。苦しいとき、人は得てして、この現状が永遠につづくのだと錯覚してしまうのです。状況は変わります。待ってみてください。そして、
身のまわりにある、ささやかな喜びに、恵まれている部分に、意識を向けるんです。うまくいっている要素は必ずあるから。あなたのことを大切に想っている人も必ずいるから。あなたにそなわっている秀でた特性も間違いなくあります。その能力を必要としている誰かがいるんです。そういったことに焦点を合わせてほしいのです。光にフォーカスすることを繰り返すうちに、心が変わってくる。闇が薄まり、透き通った空間が生まれる。心のなかに、エネルギーが宿りだす。久しく感じることのなかった、パワーが。そしてそのうちに必ず、境遇も変わってきます。
あと、好きな食べ物、食べてくださいね。
生きてみてください。
「お疲れさまでした」
「よくがんばられましたね」と、
だれかが手を合わせて見送ってくれるその日まで。
星々が降りそそぐ卒業式、
旅立ちの日まで。
その日までは──まだしばらくあるから。
あなたとわたしは、なんだってできるんです。