命のラブレター  生きづらさを抱え続けたあなたとわたしへ 

Blue あなたとわたしの本 250

 

 

 命が尽きるその瞬間まで、

 好き、を優先しよう。

 自分自身、であろう。

 自分自身、を貫こう。

「こうでなければならない」など何一つこの世界にはないんだから。

 どこの誰が決めたかもわからないような価値観・常識に従う必要などないのです。

 この二年余りだってさ、今まで「よし」とされてた価値観がずいぶんと崩壊したぜ。

「新しい生活様式」っていうのが出てきたじゃないですか。あのとき、でも思ったよ。

「〝新しい〟 も何も、30年以上前から俺が実践してる生活様式じゃねえか」って。

 買い物は一人で行け、とかさ。 並ぶときは距離をとれ、とかさ。公園はすいた時間に、とか。

 自転車を利用しろ、だの。筋トレは自宅で、だの。食事に集中して喋るな、だの。お酌は控えろ、とかさ。 お酌したり・されたりすることほどゾッ、とすることもまぁ、あんましないよ、僕。

 俺の時代が来たのかよ、って思ったよ、ほんと。

 俗語、みたいなものって嫌いなんだけど、「黙食(もくしょく)」って言葉が出てきたときは久しぶりにシビレたよ。ほんっと、黙って食べようぜ、って。

 今までは変人とされてたんだから、そういう人って。暗い、とかさ。

 今じゃ、「いえいえ! 大人数での会食なんてしていませんってば!」って逆に言いわけしなくちゃならなくなったんだから。ちょっと前までは社交的でエネルギッシュな人、みたいな良いイメージだったじゃない。

 ずいぶんと生きやすくなったもんだよ。大人数での会食なんて避けたいことの「不動のベストスリー」だったもんなぁ、僕ちゃん。

 うがい・手洗い・マスクもさらに徹底するようになったしさ、ノドひとつ痛くなりもしやしねえよ、ありがたいことに。いつも顔の下半分を隠していられるからか気疲れみたいなのも減った気がする。外を歩くときはマスク➕帽子➕サングラスだもんなぁ。まぁ、これはかえって目立つみたいだからサングラスはやめたけど。

 大っぴらにはあまり言われないけどさ、この二年、良い面も多々あったような気もするよ。ほっ、とした人たちもいると思うなぁ。

 もちろん、僕だって早く収束してほしいですよ。罹患されたかたは後遺症もなく全快してほしい。当然です。 社交的な人たちが社交を楽しんで、世の中に活気があったほうがいいよ。こっちはこっちで 「新しい生活様式」を楽しく続けさせてもらうからさ。変わり者はいつの時代でも、少数派でいいんだよね。

 話がちょっと逸れちゃったけど、僕が言いたいのは、

 絶対的な価値、なんてものはないってことです。

 コロコロ変わるの。その時代その時代で。その時その時で。

 ありもしない・いっときだけのカリソメの価値観に自分を合わせすぎて、窮屈に生きていく必要などないですよ。同調圧力みたいなのもいつの時代でもあったし、今もあるし、これからもあるだろうけど、自分の知識・経験、そして何よりも直感、を優先するのがいいような気がします。そのほうが、きっと後悔しないな。不特定多数に迎合してお仲間に加えてもらっても、あなたを最後まで守ってなんてくれやしないから。自分を守るのは、やっぱり自分なんだよね。自分、がどうしたいかなんだ。

 大切なのは、あなたにとっての、〝変わらないこと〟。それを自分で知っている、ということ。それを尊重する、ということ。

 不必要だとあなたが直覚するものや、価値観なんて打ち壊してでも、自らの心の声に従い、数十年の人生を面白く生きようよ。

 そんなけったいな人ばっかりになったら世の中がめちゃくちゃになるじゃないか? って。

 そうかなぁ。

 じゃあ、ルールを決めよう。いくつもいくつもあったらめんどくさいから、僕はひとつに絞ったんです。

 そのルールが、

自他を思いやる」。

 これだけ。これだけで充分。

 とくに自分を思いやること、だな。

 自分を思いやれれば、人のことも思いやれる。その余裕・スペースが生まれる。

 ルールは「自他を思いやる」、それだけで本当にいいのかをこれも三十年以上かけて検証してるんだけど、今のところなんの問題もないよ。

「自他を思いや」りながら犯せる悪事・犯罪はひとつもありませんでした。

「自他を思いや」れないからそういったことができるんです。しようって気が起こるの。

「自他を思いやる」をもう少し具体的に言うと、

「自分」や「他人」が大切にしていることを大切にする、ということ。

 何よりも人は、自分の体、を大切に思ってるじゃないですか。だったらさ、それらを大事に思ってあげなくちゃね。大切にあつかってあげなくちゃ。自分の命も。他者の命も。

 そしてあとは、自分らしさを・その人らしさを・その人にとっての大切なモノや概念を、 尊重してあげる、ってこと。

 なぜかしら惹かれつづけること、っていうのがあるからね、人には。

「大切だ」って、思える・湧き上がってくる、その人由来の〝変わらないもの〟が。

 それらに敏感でありたいんです。それらに気づいてあげられる人間でありたいんです。

 例えばさ、ごくたまにボウリングをするのは楽しいだろうけど、毎日やれっ、て言われたら、ツラクないですか? 野球でもサッカーでもテニスでもスキーでもなんでもいいんだけど。毎日やれって言われたら、僕なんかは逆に苦痛だなぁ。でもさ、毎日それだけやれれば幸せ、って人もいるわけですよ。ギターさえ弾ければ、絵さえ描ければもう幸せ、って人が。お菓子を作っていられたら、お人形を作っていられたら幸せ、とかね。その人その人の〝それら〟がさ、〝何か〟がさ、とてもまぶしく映るの。「そうかぁ、この人はそれが好きなんだなぁ。やりたいんだなぁ」って思うと、目を細めてしまうんです。「そうかぁ、この人は写真を撮りたいんだぁ」。「詩を書きたいんだぁ」。「踊りたいんだぁ」って。 愛おしくなるんだよ。深い敬意も感じてしまう。そして、応援したくなるよ。

 なぜかしら惹かれつづける行為、ってものが、人それぞれあるんだよなぁ。人それぞれ違うんだよ。それが「得意」で、「好き」で、「とても大切に思えるんだ」、っていうものがね。不思議だよね。不思議じゃないですか? とっても面白いじゃないですか。

 関節技の練習をとにかく一日中していたいんだ、って人も知ってるよ、僕。

「得意」で、「好き」で、「とても大切なんだ」を、人はやればいいと思うのです。それを手放しちゃいけないんです。

 その人がその人であるときにいちばんその人その人で、他者のためにもなるんだよ。パワーを与えられるの。いい影響を与えるんです。そして、本人もより優しくなれるの。「甘ったれんなぁ!」とかって言う甘ったれた人間の言葉を信じちゃダメだよ。自分の〝好き〟がなんなのかを見つめようともしない甘ったれた人間の言葉を。

 好き、だという衝動。突き上げてくる情熱。「くっそー、ワクワクしちゃうぜ!」、それこそが信じられるものなんだ。理屈を超えたものなんだから。誰かに押し付けられたものじゃないんだからさ。

〝それ〟を命綱として、生きていけばいいと思うよ。

 過去とか未来とかを見すぎるのもよくないな。たいてい気持ちが揺れちゃうんだから。下手したら揺れながら沈んでく。怒り、や不安、が重しとなってね。

 いま・いま・いま・に、波乗りするように生きるんだ。いま・いま・いま・に没頭し、後方へ「いま」が送られていくようなイメージ。 二度と戻らない、たった一度の掛け替えのない一瞬に、命まるごと〝乗る〟んだ。命まるごと〝在る〟んだ。 いま、という瞬間には、怒りも不安も存在しないことに気づくから。

 それが本来の〝時間〟なんだと思うよ。〝時間〟の過ごし方なんだと感じる。そしてそれがいちばんラク、でもあるんだよなぁ。「いま・ここ」だけに集中するの。〝時間〟という概念はカレンダーや時計といっしょでさ、便利なように人間がこしらえたものだよ。実際に流れてるわけじゃないの。流れてるようには感じるけどね。ある意味、もっと〝閉じた〟ものだよ。閉じながら連続する・光り輝く珠(たま)みたいなもの、時間は。 だから〝せばめた〟ほうが、 せばめられるほどせばめたほうが安楽を感じるんです。

 いま・いま・いま・いま・いま── 人は、永遠の〝いまの子〟。年齢なんてのもただの記号。一瞬の、永遠の、青春を生きていいんです。 

 虚無感を抱き、やさぐれ、情熱もなく、日々をただ消化するような生き方をしようとしても、真っ直ぐなあなたの心根(こころね)が抵抗してきますよ。「みんなそうしているんだから」って無理やり納得しようとしても。

 もっと馬鹿でありたいんですよ。

 熱中したいんです。

 没頭したいんです、

 世界も意識も消えてしまうほどに。

 瞬間・瞬間を後方へ飛び散らせ、輝きそのものでありたいんです。

 それでいいじゃないですか。

 それがいいじゃないですか。

 そのためにあなたはココへ来たんだ。

 いま・いま・いま、を、

 使い尽くし、楽しもう。

 命が尽きる最後の瞬間まで〝好き〟をやり続けるって決めてしまおう。

 自分に許可を出そう。

 自分らしさ、を認めよう。誇りを持とう。

 そうすれば人生はシンプルになるから。いらぬ迷いも減るから。

 それが自分を思いやる、ってこと。

 自分を敬う、ってことです。

 あるがままの自分を愛する、ってことです。

 そこからすべてがスムーズに移行してく。

 レールが切り替わって、ちがう風景が広がるように。

 だから、

 誰に何を言われようと。

 あなたの特性を信じ、

 守り、肯定しよう。

 そしてそのユニークな軌跡を、生ききった輝きを、

「命のラブレター」として若い世代に残そうや。

 あなたの子どもたちに。これから生まれくる命に。

「どうだ! 自分はありのままの自分を生ききったぞ!」と煌めきながら砕けちろうぜ。「楽しかったぁ!」って、さ。「ありがとう!」って、さ。

 どんな時代になろうと、どんな世の中になろうと、

「好き」に没頭する、あなたのいま・この瞬間には、いかなる危害も加えられない。

 何者であろうともその尊厳を侵(おか)すことはできない。

 今日も、明日も、

 永遠の、一瞬の、〝時間〟を生きよう。

 一瞬の、永遠の、〝きらめき〟を生きよう。

〝いま・ここ〟に集中しよう。

 あなたとわたしが生まれてき、〝いま〟生きているということは、とてつもなく眩しいことなんだよ。

 目がくらむほどに奇跡的なことなんだよ。

〝いま・この瞬間〟には、可能性という名の無限のレールと、際限のない応援と、安らぎ、があるんだ。

 あなたがあなたであることを心から敬い、愛してあげてください。

 そのままの個性を。

 あるがままの特性を。

 光り輝く連続する球体のなかで──。

 そう、あなた自身が、それをずっとずっと、

 待ち望んでいたんです。

      

 

 

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