新京極を歩く

Blue あなたとわたしの本 226


 

 休日の新京極を歩くのが好きだ。

 中国や韓国の人々で溢れ返っている。

 東南アジアの人たち。

 もちろん日本人も。

 若者。家族連れ。修学旅行生。

 欧米人のグループ。カップル。老夫婦。

 何をしているのかわからない風体の人たちも、けっこう多い。

 それぞれが、

 てんでバラバラに、

 かつ大きな川となって

 流れている。

 老若男女の川だ。

 無国籍の流れ、

 喜怒哀楽の水流となって、

 うねっている。

 極彩色の店々のあいだを、

 喧騒の中を、

 様々な言語の渦巻く中、

 食べ物の匂いの舞う中、

 男性の靴音、

 女性の靴音、

 群集が、

 横幅をひろげ、せばめ、

 追い抜き、交差し、

 混じり合って、

 進む。

 進んでいる。

 南へ、

 北へ。

 そこへアーケード越しの陽光が、

 平等に降りそそぐ。

 

 一人で歩を移す

 私のほうなど、

 誰も見向きもしない。

 ここでは誰とも交渉を持たない。

 拘束もされない。

 上下関係ももちろんない。

 いかなる役柄を、

 演じる必要もない。

 
 ひとしずくであり、川ともなり、

 私も流れていく。

 誰ともかかわらず、

 それでいてまるで、

 集団の一員のように。

 

 時おり頰に

 笑みが浮かんでくるのが自分でわかる。

 どこの国の人でも私はなくなる。

 年齢も消える。

 輪郭も溶けていき、

 晴れ晴れとした、

 安らぎとなる。

 
 人々への優しい想いも

 自然と湧いてくる。

 関係を持たないがゆえの寛容さだ。

 誰もが、心安らかであれ と、願える。

 

 ここには明確な「世間」もない。

「労働」もない。

「分」も「秒」も消滅し、

「人生」すらもないように感じる。

 どこでもない

 自由の川を、

 見えない手足を動かし、

 透き通ったままで、

 泳ぐ。

 伸び伸びと。

「意味」からも 解放されて。

 

 
 今日も私は、

 断絶した連帯の

 明るい恍惚に浸るため、

 
 新京極を歩いている。

 

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