小説「記憶のたわむれ」⑥

 

  

「翌日──京都を離れる日──、俺はもういちどおばちゃんの店に立ち寄ることにした。好きだった蕎麦ぼうろを持ってな。フリーのライターというのはうそで、児童劇団の営業をやっていることなんかもちゃんと話そうと思った。本当にやりたい仕事を、いまも模索していることも──。

 よく晴れた、光のきれいな午後だったよ。俺は帰り支度をし、スーツを着、髭も剃って、船岡山のほうに向かった。

 おばちゃんの駄菓子屋はなかった」

 ──意味が飲みこめず、藤堂さんの顔を見た。

「駄菓子屋が、なかった?」

 藤堂さんはあごを引いた。

「だって、昨日の夜はあったんでしょう?」

 あったよ、と藤堂さんは平板な声で返した。

「そんな──、一晩で無くなるなんておかしいじゃないですか」、当たり前のことを言って藤堂さんの顔を見つづけた。藤堂さんも動かない目で見つめ返す。視線をつなげたまま、二人のあいだを数十秒が流れた。そして、ああ、と話を理解した。ああ、そういうことなの、か── 。僕の表情を見て藤堂さんも察したようだった。うなずいてから、言葉をつづけた。

「おばちゃんの店があったところは小振りなマンションになってたよ。まだ新しい感じだったけど──、一晩で建ったものじゃない」、最後のところでユーモラスな調子を藤堂さんは交えようとしたが、うまくはいかなかった。

「呆然と立ちつくしていると、ちょうど近くの家の玄関がひらき、老人が犬をつれて出てきた。その家は俺が子どものころからあった長屋のなかの一軒だった。混乱した頭のまま老人に近づき、話しかけた。クリーム色のマンションを指さした。『ここに、駄菓子屋がありましたよね?』、昨日まで、という言葉はなんとか挟まずにすんだ。

 ぶしつけな俺の言動を怪しむ素振りもなく、鼻のやけに長い・間延びのした顔つきの老人はほがらかな口調で答えた。

『あったよ、去年の今ごろまではね──』」

 僕は眉根をよせ、藤堂さんの顔をうかがった。藤堂さんも硬い表情で見返してくる。十秒ほどが過ぎたあと、肩にも力が入っていたことに気づいたように、ふっと脱力し、藤堂さんは目をふせた。それから僕の顔に視線を戻す。声に笑みを含ませ、つづけた。

「話し好きのおじいちゃんみたいでな──、ほとんど勝手にしゃべりだした。茶色い痩せた犬だけが早く散歩したそうに紐のとどく範囲を動きまわってた。おじいさんは犬を叱りつけた。見覚えのある人物であることも急に思い出した。おばちゃんと店の前でよく立ち話をしてた人だったんだよ。

『ええ人やったけどね、脳卒中やった』ってその老人は言った。  

『 八十過ぎてからは、ちょっとボケたはったようにも思うけどな。おはようさん言うても、あたしは日本一の駄菓子屋のおばちゃんやで! って怒ったみたいな調子で言い返さはったしな。

 まともなときもあるんや。まともなときは、いつもこぼしたはった。子どもがんようになってさびしいって。子どものかず自体が減ってしもうたって。うなじを垂れてな。ほんまにさみしそうやった。それでも商品は最後の最後までぎょうさん置いてあったで。じっさい日本一の品ぞろえやったんかもしれんな。京都の問屋がつぶれたいうては大阪まで買いに行かはんにゃしな。そやけど兄さんな、こんなテレビゲームやコンピューターやいう時代にやで、〝恐竜のタマゴ〟やら〝妖怪のけむり〟やらいうても子どもかてそんなもんで遊ばしませんて。そう言うても聞かはらしまへんにゃ。昔の子どもはこれで遊んだんや、言うてな。まぁ、それはそうでっしゃろうけど──。子どもが来ん店に、いつもあふれんばかりのおもちゃが置いてあったな──

 じつを言いますとね──店で倒れたはるあの人を見つけたんは私ですにゃ。あわてて救急車を呼んだんもね。私もいっしょに救急車に乗りましたがな生まれて初めて。寝台の上で、いっぺんあの人、意識が戻らはりましたんや。それで、はい十円、はい二十円、言うて指先をすぼめた右手を宙で動かさはるんや。なにをしたはんのかいなおもたら──あれ、お釣りをわたしたはったんやな。子どもにお釣りをわたしたはりましたんや。はい十円、はい二十円、言うて。

 そのあと──意識がはっきりしたんや。私の顔を見て、あぁげんさん、言わはったんや。それで私は、こら助かる! おもた。そやけど──あの人は言わはった。棺桶のなかへ、子どもらがいてくれたあたしの似顔絵を入れてくれ、って。寝間ねまの壁に貼ってあるさかいすぐわかる、って。私は救急車のなかで大きな声を出しましたがな。なに言うてんにゃ! 死なへんで! あんさんまだ死なへんがな!

 ──それでもけっきょく──それがしゃべらはった最後でしたわ。身寄りのない人やったからね、町内で呼びかけあって、ひっそりしたお葬式をだした。お棺のなかへも駄菓子やとか、おもちゃ──そして、絵を入れたげた。ほんまに寝間の壁じゅうに貼ってありましたわ。もう黄ばんでんのがほとんどやったから、だいぶ昔の子どもさんが描かはったもんなんやろうね。ほんまにぎょうさんあった。そうやそうや、あの人が蕎麦ぼうろをつまんでる絵もあったわ。あの人蕎麦ぼうろ好きやったからな。子どもはそれを知ってたんやな。絵の下のほうにはこんなふうに書いてあった、〝日本一の駄菓子屋のおばちゃん〟ってな!』」

 こみ上げてくる涙をこらえるのはそこまでだったよと藤堂さんは言った。

「俺は泣いた。嗚咽がもれてくるのを止めようとしても無理だった。への字に唇をひん曲げて、肩をふるわせて泣いた。どんなに固く目を閉じても、涙ってのはあふれてくるんだなぁ。後から後からこぼれ落ちた。膝にも力が入らなくなってきて、蕎麦ぼうろの入った紙袋を持ったまま、とうとうその場にヘナヘナと坐りこんだ。おじいさんはそりゃびっくりしてたよ。『あんたはんどないしはったん!』ってな。『わし、なんぞおかしなこと言うたやろか⁉ あんさん! あんさん!』って。──」

 沈黙が再び部屋に落ちた。

 藤堂さんは深く下を向き、ビールの空き缶を無意識みたいに右手で握っていた。落ちた長い前髪の向こうに、かるく顎を突き出すような感じでひらいた唇が見えた。ぱり、ぱり、と缶が押される小さな音がひびいた。そして──そのまま藤堂さんは動かなくなった。

 僕は、野菜炒めの載っていた皿や、何本かの空き缶を見るともなく視界におさめた。このテーブルや、肉の匂いや、ビールの匂い、モスグリーンのカーテン、天井のすみの暗い部分にときおり走るヘッドライトの反射、ヒーターの電熱棒に赤く染まっている藤堂さんの右半分の顔なんかを──いつの日か思い出すことになるのだろうなという気が、なぜだかした。

 

f:id:btomotomo:20160518114858j:plain

 「記憶のたわむれ」⑦ 完結へ つづく

 

 

 

 

 

 

 

 

 








にほんブログ村 ポエムブログ 写真詩へ
にほんブログ村




写真詩ランキング






「Blue あなたとわたしの本」は毎日更新から不定期更新に切り替わりました。読者登録をご検討いただければ幸いです。ブックマーク、ツイッター、フェイスブック等でのシェアも大歓迎です。いつもありがとうございます。