小説「YES」②

 

 音楽家や書道家など、芸術関係の人間がたしかに多く集まっていた。大学生も来ていた。男の子も女の子もいた。男は日に焼けた腕にたいてい〈Gショック〉をはめていた。当時の流行りゅうこうだったのだろう。女の子は下着のように見えるキャミソールを着ているものが大勢いた。

 役者、ヨガの講師に投資家、バーのオーナーに元やくざという人物もいた。畳敷きの大広間。ひたいとひたいが触れあわんばかりにして話す者、壁にもたれて両足を投げ出してしゃべっている者もいた。みな思い思いのかっこうで話し込んでいた。寝そべっている者もいた。身振り手振りを交え、何事かを力説しているらしい背中もあった。

 主催者であるはずの彫刻家は、「それではみなさんゆっくりしていってください」と廊下の奥へと去ってしまった。常連の写真家から後日聞いたのだが、庭にある礼拝堂めいた建物が彫刻家のアトリエなのだという。客は土曜日の夕方に来、二千円を専用の木箱におさめ、日曜日の正午までに帰ればいいらしい。とくに食べ物や飲み物が出てくるわけではなかったから(みな持参していた)、二千円というのは所場代にちかいものなのだろう。それでも毎週三十人、多いときには四十人以上も集まるというのだから交流の場として根付いていたのだ。木箱のなかのお金がそのまま彫刻家の活動費にあてられる。それを聞いても嫌な気持ちにはならなかった。生活費の確保にもいろいろな方法があるものだな、と感心しただけだ。

 僕は彫刻家の家に毎週のように通った。どうしてそんなことになったのかもうひとつよく思い出せない。そのときしていたアルバイトが倉庫での黙々とした作業だったのもあるのかもしれない。彫刻家の家で変わった人間に会い、変わった話をたくさん聞いた。だけど不思議と誰の話もよく覚えていない。変わった人間の変わった話だったな、という程度だ。記憶に残っているのは彫刻家の飄々ひょうひょうとした雰囲気と、やはり画家の話なのだった。

 彫刻家はたいがいアトリエのほうへ行ってしまっていて姿を見せないのだが、場がもうひとつ沈んでいるなと思われるときなどは(どうして分かるのか)奥から出てきた。そしてみなに順番に話をさせた。テーマを与えた。「今まででいちばん印象深かった恋の話」であったり、「じっさいに体験した不思議な話」であったりした。彫刻家は人をすなおに従わせる力も持っていたようで、みな逆らうことなくそれに乗った。そして盛り上がった。集まっているメンバーが変わり者なだけに、話される内容もまた面白かったのだ。

 その夜、僕が彫刻家の家に着いたのは8時ごろだったと思う。そのときも彫刻家が話題を選んでいた。それはいつになく重いテーマだった。問いかけ、と言ってもよかった。人々はいろいろな例を出し、自らの思いを語った。嗚咽の声も漏れた。かなり熱くなる者もいた。「それは違うだろ!」という声が上がったりもした。だが、みなが一人ひとりの考えにじっくりと耳を傾けていた。

 そして、この日が初めての参加らしい、画家の話す順番になったのだ。

「みなさまの力の込もったお説をうかがったあとでは、私もあの体験を語らないわけにはいかなくなりました」と画家はおだやかな口調で切りだした。画家は五十代の半ばに見えた。痩せていて、ナイフで彫りきざんだようなしわが顔じゅうに走っていた。何かしら不自然な感じのするしわのよりかただった。面立ちは端整で、目もとの表情には明るい光があった。銀髪をきれいに後ろへなでつけていた。黒いシャツの上に灰色の上着を着ていた。腕時計はしていなかった。痩身そうしんの男は小さく咳払いをし、つづけた。

「思えば今までいちどとしてこの話をしたことはないのです。人さまに聞いていただく、今晩がよい機会なのかもしれませんね。そのとき、少女の感じているよろこびを私も感じました。少女と私の区別はなくなりました。水の一粒一粒や、木々や花々、降りそそぐ陽光との区別もありませんでした。それだけではなく、ここにおられるみなさまとも、そのときはなんのさかいもなかったはずなのです。これは十六歳の夏── そしてその一年後の夏に── 私がじっさいに体験したことなのです」

 

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