エッセイ Blue 18
名文、悪文、美文、いろいろあるとは思うのですが、読み手を引き込むことができなければ、そこで終わりです。引き込み、最後まで読んでもらわなければなりません。
文章を読むのはほとんどの人にとって、しんどいことだと僕は思うんです。つらいことを楽しく行ってもらいたいわけですから、方法が必要となってきます。
読み手を引き込む文章を書く、たった一つの方法
それは、
推敲する、ということです。
ブラッシュアップを徹底的にやるんです。
これ以外、いかなる魔術もありません。いえ、この地味な作業を繰り返すことによって、魔法としか思えない文章が生み出されるのだと信じています。
ではどういった心構えでやればいいのでしょう?
健全な自負心を持ってです。
「ほかでもない私が書くのだから」
「ほかでもない私の作品なのだから」
というものです。
こういった矜持がなければ、そもそも文章を磨こうという気すら起きないでしょう。2、3回推敲らしきものをして終えるはずです。
この自負心のなかには、文章を書くのが好きだという想い、ワクワクする喜び、たずさわれることに対する感謝、そういったものも含まれます。
健全な自負心とともに必要となってくるのが、
読者を尊重する想いです。
これが表現として綺麗すぎるなら、
読者をなめない、ということです。
読者を尊重していないと、ことごとくバレてしまいます。
お金を払ってくださっている場合でも、そうでない場合でも、読み手は時間を払ってくれています。つまり、命を払ってくれているのです。
書き手も、いい加減な気持ちで作品を提出してはいけないのは当然のことでしょう。
人生とは〝いま、この瞬間〟のことだ、という意味のことを僕はよく書きますが、あなたの書いたものを、誰かが読んでくれているとします。その読者の〝いま、この瞬間〟は、あなたの書いたもの、ということになります。人生は常に〝いま・ここ〟です。文章を読むのも〝いま・ここ〟です。一人の人間があなたの書いたものを読んでくれているということは、その人の人生は〝いま、あなたの文章〟です。あなたの文章を読んでいる、ということが、その人の〝人生〟なのです。
この事実を想うとき、僕はいつも身が引き締まります。
だから、
◯ 書き手としての健全な自負心
◯ 読者を尊重する想い
この二つを持って、推敲します。
この二つを持って文を磨くことによって、文章は透明な輝きを放ってきます。説明のつかない吸引力が生まれるのです。
完成すると、カチリ、とした感慨が来ます。その感触が訪れるまでブラッシュアップしてください。推敲するときに僕が気をつけている具体的なことは、「推敲時のチェックポイント 2018 最新版」に書きましたので、リンクを貼っておきます。
近所に、家庭料理を出す小さなお店があります。
30代半ばくらいの女性がやられているのですが、なにを食べても美味しいんです。値段も安い。
昼間は500円のお弁当があるのですが、「この価格でやっていけるのだろうか?」と心配になるくらいのボリュームです。これも美味しい。
先日、その女性があるお店で豆腐を買われているのを見かけました。僕も何度か買ったことのあるお店です。たいそう風味がいいのですが、値段はスーパーの3倍くらいします。そこの豆腐を、買い求められていました。
── スーパーの豆腐でもいいはずなんです。
でも、スーパーの3倍もする── それでも確かに味は違う── そのお店の豆腐を、買われていました。
〝わたしが作るのだから〟〝わたしのお料理なのだから〟という健全な自負心を、僕はその女性からも感じるのです。食べてくれる人への愛情も感じます。
この女性は、店でもとても楽しげに働かれています。そこだけスポットライトが当たっているかのようです。
僕はこのお店で、今後も夕食をいただくでしょう。お弁当も買うでしょう。
こういったパン屋さんでパンを買い、こういった自転車屋さんに修理をお願いするでしょう。
仕事が好きで、感謝しながら働いている人のいるお店に。
健全な自尊心を持ち、お客さんのことも大切にしてくれるお店に。
〝健全な自負心〟と〝読者を尊重する想い〟というフレーズだけを聞けば、「綺麗ごとを── 」と思われた方も、ひょっとしたらいらっしゃったかもしれません。ですが、こういったお店の例を思い起こしていただければ、納得されたのではないでしょうか。
誰だって、自負心と愛情を持って励んでいる人間にお金を渡したいはずです。応援したいはずです。
文章を書くという行為も、まったく同じだと思うのです。
推敲している過程で、自負心も愛も、喜び、感謝も、すべてが文章に宿っていきます。一文一文が翼を持ち、行から行へ飛び移りはじめます。その快い羽音が読み手に催眠術をかけ、文章世界へ連れ去っていくのです。
僕はそういう文章や、作品を目指しています。
もちろんまだ出来てはいません。スタート地点にやっと着けたか、もう少しで着けるか、といったあたりではないかと分析しています。
でも、それでいいのです。時間はまだあります。
◯ 書き手としての健全な自負心
◯ 読者を尊重する想い
この二つを忘れることなく、文章の可能性をこれからも探っていきたいと考えています。
読み手を引き込む文章を書く、たった一つの方法
それは、心を込めて〝推敲する〟ということ。
そう、僕は信じているのです。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。