「南無阿弥陀仏」しか なくなったその場所から

Blue あなたとわたしの本 173

 

 

 学校での問題であれ、

 職場での問題であれ、

 家庭、

 家族の問題であれ、

 

「もう無理だ!

 だれか助けてくれ!

 もう どうすることもできない!

 助けてくれ!

 頼むから

 だれか助けてくれ!」

 

 と、

 涙とともに

 叫び、

 叫び、

 叫ぶが、

 叫べども、

 叫べども、

 だれも助けには

 来ず、

 沈黙のなか、

 ぽつんと、

 ひとりで、

 存在している。

 

 そのうち、

 涙も枯れ、

 声も出なくなり、

 頭はからっぽになり、

 心もからっぽになり、

 なんの欲もなくなり、

 からっぽの

 なにかになったまま、

 ぽつんと、

 やっぱり、

 一人で、

 存在している。

 

 そして、

 気がつけば、

 

 南無阿弥陀仏

 南無阿弥陀仏

 南無阿弥陀仏

 

 と、

 ただ

 ただ、

 念仏を、

 声もない声で── 

 唱えつづけている。

 

 願いも

 すでにない。

 祈りでもない。

 なんのためでもなく、

 何者でもない、

 からっぽの

 なにかと

 なった

 人間が、

 声もない声で、

 念仏を

 唱えつづけている。

 

 南無阿弥陀仏

 南無阿弥陀仏

 南無阿弥陀仏

 南無阿弥陀仏

 南無阿弥陀仏

 

 ── そんな

 経験のあるかたや、

 いま、

 そういう状況にあるかた、

 いらっしゃるんじゃないかと思う。

(南無阿弥陀仏に当たるものは、

 もちろん人によってちがうだろうけど)

 

 そんなときでもさ、

 そんなときでさえ── 

 

 なにか

 新しいことって、

 始められるんです。

 

 始められるんだ、って思ってごらん。

 始めていいんだ、って考えてごらん。

 実際、始められるんだから。

 

 ───どう?

 

 そしたらさ、

 胸のなかに、

 ぽっ、と、

 喜びの

 赤ちゃんみたいな

 小さな小さな

 小さな

 火が、

 灯るでしょう?

   こんな場所からでも、

 自分は、

 まだなにか、

 新しいことを

 始められるんだ、

 始めていいんだ、

 っていう、

 気づきの火。

 喜びの火。

 

 そのわずかな

 ぬくもりに、

 手をかざすように、

 ぬくもりを

 手のひらで

 守るように、

 もう少しだけ、

 もう少しだけ、

 生きてみたら?

 

 その小さな

 喜びの

 赤ちゃんが、

 どれほど

 大きく

 育つかを、

 想像してみるんだよ。

 

 それを

 見とどけるだけでも、

    生きる

 価値は、

 あると思う。

 

 南無阿弥陀仏しか

 なくなった

 その場所を

 経験した

 あなたは、

 だれよりも

 強く、

 そして

 やさしく、

 生きていけるんです。

 

 これからの

 人生を、

 生きていけるんだよ。

 生きていけるんです。

 生きていくんです。

 生きていけるんです。

 

 だれよりも

 強く、

 そして、

 だれよりも、

 やさしく、

 やさしく、

 やさしく、

 

 あなたは、

 生きていけるんです。

 

 これからの人生を。

 

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