「いま この瞬間」に幸せを感じるために「いま この瞬間」に幸せを感じるということについて

もうひとつの Blue 3

 

 

〝いま〟という瞬間にしか、人は存在することができない。

〝過去や未来〟といったものは言葉の上だけの概念なのだ。

 人は、いま、いま、いま、という以外のどこにも存在することができない。この事実を前提として、幸せについて考えてみたいと思う。あなたとわたしが幸せを感じられる原稿にしたいと思う。

 そう、幸せとは〝感じる〟ものなのだ。

「幸せになる」という言い方が一般的だとは思うが、この「幸せになる」という言葉自体、幸せを蜃気楼のように遠ざけてしまう危険性があると僕は思っている。

 

〝幸せを感じる〟には時間の要素が含まれていないが、

〝幸せになる〟には時間の要素が含まれているからだ。

 

〝幸せになる〟ために、勉強する、努力する、練習する、といった具合だ。

いつか 幸せになる〟ために、努力をしているわけだ。

 それのどこが悪いのか? と人は言うかもしれない。

いつか幸せになるために努力している〟としたら── どうなるのだろう?

〝いつか〟幸せに(夢が叶ったときに)なれるが、いまはその途中だから幸せではない、ということになりはしないか?

 

 話を最初の前提に戻そう。

 

〝いま〟という瞬間にしか、人は存在することができない。

〝いま・ここ〟にしか、だ。

 

 だが、〝いま〟は〝幸せになる〟ための途中であって、〝いま〟は幸せではない── 。あるいは、まったく不充分だと いらだってさえいる。

 もしそうだとしたら── 

〝いま〟という唯一の現実が、いちじるしく価値の低いものに、おとしめられてはいないだろうか?

 〝いま・ここ〟にしか人は居られないのに、〝いま・ここ〟で幸せを感じてはいないのだ。ならば、 いつ、どこ で幸せを感じるというのだ? 

 夢が叶った未来か? そんなところに人は 一足飛びに行けはしない。〝未来〟などというものはカレンダーをめくった場合にだけ存在する話であって、現実はカレンダーのようにはなっていない。〝いま、いま、いま〟しかありはしないのだ。

 

 ── いつまでもややこしいことを書いていても原稿が長くなる。

 結論といこう。

 

 あなたは〝いま・ここ〟にしか存在できない。

    だから、〝いま・ここ〟で幸せを感じよう。

 

 ── ということだ。

 シンプルな話だ。それしかないのだ。ないのだが、人は未来に幸せを求めてしまう。幸せに〝なろう〟としてしまう。〝いま〟幸せを〝感じる〟ことしかできないというのに。

 勉強している〝いま〟、努力している〝いま〟、練習している〝いま〟、充分に喜びを感じよう。幸せを感じながら励もう。〝いま〟楽しもう。

 

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 人はこう言うかもしれない。

「そうは言っても、まだ目標が叶っていないのだ」と。

 叶えたい夢があるのだ、と。志望校に入りたいのだ、と。理想の年収に手が届いていないのだ、と。結婚していないのだ、と。家をまだ買っていないのだ、と。本を出版したいのだ、歌手になりたいのだ、俳優になりたいのだ、チャンピオンになりたいのだ、と。

 ── そうなのだろう。

 だが、そうであっても、

 

〝いま・ここ〟にしか存在できないという事実は1ミリとて動きはしない。

〝いま・ここ〟でしか幸せを感じられないという事実も1ミリとて動きはしない。

 

 だから、

〝いま〟〝この瞬間〟に、幸せを感じるべきなのだ。

    喜びに 焦点を合わせるべきだ。

 

 屋根のある空間でくつろげている幸せに。あなたを愛してくれる家族がいることに。一人の時間を楽しめることに。好きな本を読めることに。文章が書けることに、音楽を聴けることに、友人にメールを送れることに。情熱を覚えるそのことの勉強を── 練習を── 好きなだけ、やれることに。

 喜びを感じるのだ。幸せであることに気づくのだ。

 喜びにしっかり焦点を合わせて欲しい。

〝いま、この瞬間〟に、幸せを 感じよう

 

 

「分相応で満足しましょう」という話をしたいのではない。

 そんな面白くもないことを言いたいのではなく、もっと根源的な〝事実〟の話をしているのだ。

 

〝いま、この瞬間〟しか幸せを感じるときはないことに 意識的になり

〝いま、この瞬間〟が〝人生〟であることに 意識的になり

 喜びを 意図的に選択しつづける〟ことを習慣にしたい。

 

   これが、〝眠りながら〟生きないということなのだから。

   これが、〝目を覚まして〟生きるということなのだから。

 

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〝いま〟しか幸せを感じる機会がないことに気づき、喜びに焦点を合わせ、喜びを感じることに意識的になれば、あなたは、〝いま〟〝いま〟〝いま〟の連続体であるこの人生を、常に幸せを感じながら生きていくことができる。

 まだ持っていないものばかりにフォーカスし、気持ちを沈めないで欲しい。

 

 このことが本当に腑に落ちると、人はほとんど自動的に── みな我が身がかわいいのだから── 喜びに焦点を当てるようになる。

 しつこいが── 人生とは〝いま〟〝この瞬間〟のことなのだ。

 〝いま〟〝この瞬間〟が、〝あなたの人生〟なのだ。

 

 

 

 喜びを感じることを習慣にすると、これから述べる、ふたつの良いことも期待できるかもしれない。

 

 ひとつは── 

「いつか自分は幸せになるのだ」などと眉間にしわを寄せ、不平不満を吐きちらし、暗い顔で暗い努力をしている人間に、果たして幸運の女神は微笑むのだろうか?  

 人が手を差し伸べたい気持ちになるだろうか? その人と一緒に何かをやってみたいと思うだろうか?

〝いま〟〝この瞬間〟、すでに幸せを感じている人間に、強烈な吸引力が生まれ、さらなる幸せが訪れるような気がする。人も、運も、引きつけるような気がするのだ。

 すでに幸せを感じている人間に、さらなる幸せが与えられ、幸せを感じていない人間からは、持っているものまで奪われてしまうような気すらする。

 

 だから、

〝いま〟喜びに焦点を合わせ

〝いま〟喜びを感じて欲しい

「そうは言ってもこんなに苦しいんだ!」

 に、ばかりフォーカスしないで欲しい。

 

 幸せは、あなたのすぐそばに、いつだってあるのだから。

 

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  喜びに焦点を合わせ、幸せを感じる習慣をつければ、こういった良いこともあるかもしれないという、ふたつ目。

 

 ── 波動。

 その人間の出している 波動・周波数 と同質のものを人生で経験する、といった考え方がある。不満の感情を抱いていると、不満を言いたくなるような状況がいつまでもつづき、いい気分 でいるとさらに 気分 が高まるような出来事を引き寄せるという── いわゆる、

 

引き寄せの法則」だ。

 

 僕には〝波動〟というものがあるのか── ましてや「引き寄せの法則」が本当に働いているのかどうかは、わからない。

 だがこれまでの人生を振り返ってみると、そのときそのときの僕の人格というか、思考していたことに(良くも悪くも)見合った日々を── 送っていたような気は、する。

 冷静に、客観的に、過去を見てみると、どうもそのように思えてくるのだ。── あなたはどうだろうか?

 

 

 人間は60兆以上もの細胞が集まってできているらしい。細胞を構成するのは DNA だ。DNA は分子の集まり、分子は原子の集まり、原子は原子核と電子でできている。それを構成するのは素粒子と呼ばれるもので、その素粒子をもっと細かくすると〝振動するヒモ〟、〝エネルギー〟になってしまうという。

 人間をとことん分解すると、〝エネルギー〟になってしまうのだ。

 これはスピリチュアルの話ではない。物理学の話なのだ。

 

 人間も、そして動物も植物も鉱物も、宇宙のすべてが〝エネルギー〟でできているとすると── どうなるのだろう? エネルギー体である我々が思考することによって波動を出し、その周波数と同調する事象を引き寄せる。

 すべては物質だと認識すると眉唾に思えてしまうこういった理論も、すべてはエネルギーなのだと言われると── 突飛なことでないようにも感じられる。

 

 もしそういった法則があるとするならば、〝いま・ここ〟で我々が なにを考えどんな感情になり、どういった 周波数 を出しているかが極めて重要なこととなってくるのは容易に想像できる。

 出している周波数どおりの現象を── 人生に引き寄せてしまうのだから。

 

 喜びに焦点を合わせ、いい気分 でいる習慣をつけた人は、さらなる喜び、さらなる いい気分、さらなる幸せを体験しつづけることになるのだろう。

 

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 ここで、いちど── いま、いちど── そういったことは〝ない〟としてみよう。

 

 つまり、ひとつ目に考えられた良いこと。

 喜びを感じ、幸せそうな雰囲気を醸し出していると、人が手を差し伸べてくれるようになる──運も良くなる──  そういったことは特に〝なく〟、明るかろうが暗かろうが、なんの影響も〝ない〟、と。

 

 さらに、「引き寄せの法則」、そんなものも〝なく〟、何も作動して〝いない〟としてみよう。

 

 

 ── もし、仮にそうであったとしても、〝瞬間〟〝瞬間〟喜びに焦点を合わせ、幸せを感じようと心がける人間に、リスクやデメリット、なにかマイナスはあるだろうか?

 考えられるのは、「喜びにフォーカスしなければ、いい気分でいなければ」と必死になりすぎることぐらいか。なにごとも必死になりすぎるのは良くない。逆に苦しくなってしまうこともあるかもしれない。真面目な性格の人ほどそういったところに陥りやすいというのは、ある。

 なにごとも気楽にやればいいのだ。それこそ、楽しみながらやることが大切だ。

 

〝瞬間〟〝瞬間〟喜びにフォーカスし、幸せを感じながら生きることに、不利益なことはなにもないと思う。

「引き寄せの法則」というものがもし働いていて、喜ばしいことが人生に訪れつづけるのなら── それはそれで最高ではないか。

 

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 この原稿を何度か読み返してもらえれば、日常が変ってくる方は、いらっしゃるかもしれない。

 ── 例えばこんな人。 

〝いま〟にしか存在できないことを意識せず、過去や未来のことばかり想い、持っていないものに焦点を合わせ、不平不満を吐きちらしていた人── そう、少し前までの、僕のような人、だ。

 

 もし、あなたにもそういった傾向がなくはないならば、もういちど読み返してもらえると── とても嬉しい。

 

 

 

 最後に繰り返そう。

 

 

〝いま〟という〝瞬間〟にしか人は存在することができない。

 手に入れていないものに焦点を合わせ、不平不満を漏らすのではなく、いま持っている喜びに気づき、いい気分でいよう。

〝いま・ここ〟で幸せを めいいっぱい 感じよう。

 

 

 もっと短くしてみよう。

 必要なときに思い出せないと意味がない。

 

 

〝いま〟という瞬間にしか人は存在できない。

 だから〝いま・ここ〟で 喜びを感じよう。

 幸せを感じよう。

 

 

 もっと短く。

 

 

〝いま〟という瞬間しかない。

〝いま〟幸せを感じよう。

 

 

 もっと短く。

 

 

〝いま〟幸せを感じよう。

 

 

 そう、

 

 

〝いま〟幸せを感じよう。

 

 

 そうすることによって生じるマイナスは何もない。

 くれぐれも〝必死〟にはなりすぎないように。

 部屋のすみの〝闇〟にも目を向けすぎないようにして欲しい。

「そうは言ってもこんなに苦しいんだ!」というあなたのその悲痛な叫びは、「苦しいことにばかり焦点を合わせるのはもうやめてくれ!」という〝あなたの魂の悲鳴〟と重なって僕には聞こえてくる。

 フォーカスするポイントを変えて欲しい。

 どうかそこにある〟に気づいて欲しい。

 

 

 瞬間、瞬間、喜びを選択することに意識的になったあなたは── 「引き寄せの法則」があってもなくても── 幸せな人生を生きていくことができる。

 

 

 あなたとわたしは、あなたとわたしが思うほど── 決してモロくはない。弱くもない。苦しむために生まれてきたわけではないのだ。

 人生とはこの〝瞬間〟〝瞬間〟のことだ。そして僕たちは、

 だから僕たちは、自らの意思で、この〝瞬間〟〝瞬間〟を自由に選び取り、創り上げることができる── 

 祝福に満ちた存在なのだ。

 

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もうひとつの Blue 1

 

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Blue あなたとわたしの本 ベスト第4弾

 

 


 








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