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さる湯

Blue あなたとわたしの本 童話

Blue あなたとわたしの本 175

 

 わたしのおばあちゃんがまだ子どもだったころ、この家には さるがいました。

 裏の山から下りてきて、そのまま住みついてしまったのです。「ほんとうよ、優子」とおばあちゃんは枕元に座るわたしの顔をやさしい まなざし で見あげます。おとなしく、利口なオスざるだったそうです。

 さるが来てから、家族はみんな健康になりました。風邪ひとつひかないのです。

 さるはお風呂が大好きでした。

 お風呂を沸かすといつもいちばんに入ります。そのあと家族が順繰りに入るのです。

「わしらが達者になったのは〈さる湯〉に浸かるようになったからじゃなぁ」

 と、まだ子どもだったおばあちゃんのお父さんは言いました。

 わたしの村ではさるが入った湯につかると健康になり、体の痛みもとれ、長生きするという言い伝えがあったのです。

〈さる湯〉のうわさは広まって、村の人たちが押しかけてくるようになりました。

「おさるさんや、どうかウチの風呂に入りに来ておくれ。年寄りの病人がおるんじゃ」

「そのあとはおらんとこだ。子どもがおたふく風邪になってしもうた」

 さるは村じゅうの風呂から風呂へ、とぽん、とぽん、とつかって回りました。

 来る日も来る日も、家々を回ったのです。

 さるは、村の人気者になりました。子どもたちとも鬼ごっこをしたり、縄跳びをしたりして遊びました。手まりも上手でした。

 だけど、おばあちゃんが中学生になったある日の冬、さるの寿命は尽きかけていました。人間で言えば九十歳を超えていたのです。高熱がで、布団に横たわっていました。

 それでも村の人たちは〈さる湯〉を欲しがります。

「おさるさんや、具合が悪いのはかわいそうじゃが、ウチへちょっと来てもらえないかい? わしんとこはもう五日も来てもらってないんじゃ」

「なあに。わしんとこは一週間も来てもらってない。おさるさんや、女房の腰が痛んでなぁ」

 さるは高熱があるにもかかわらず、体を起こそうとします。

 子どもだったおばあちゃんは、さるの体にしがみつきました。

「おさるさん、行っちゃだめ! こんなに寒いのに! 外を歩き回ったりしたら、死んでしまう! 行っちゃだめ!」

 そのとき、さるは ほほ笑みました。それも無理をした笑みではなく、心からうれしそうな、澄みきった笑顔だったそうです。その笑顔を、そのまま村人たちにも向けました。

 小躍りして喜ぶ村人たちに囲まれ、呆然となったおばあちゃんを残し、さるは出て行きました。

 大粒の雪が降りしきる、十二月の夜のなかへ── 。

 

 さるは、三軒か四件まわったあと、道ばたで たおれました。

 中学生だったおばあちゃんは、冷たくなっていく さるを抱いて、夜空の下でいつまでも声をあげて泣きました。雪は舞いつづけ、はらってもはらってもさるの顔を白く隠していったそうです。

「おさるさん! あれだけ止めたのに! あれだけ止めたのに! おさるさん! おさるさん!」

 

 おばあちゃんは、言います。

「あのときわたしは、なんであのさるが村人たちと出て行くのか、わからなんだ。

「『おさるさん、ウチへ! ウチへ!』言われ、にっこりと笑って、心からうれしそうに、あのさるは出て行った。わたしはずっとわからなんだ。あの笑顔がわからなんだ。

「── けどな優子、いま、わたしも九十歳を過ぎて、あのおさると同じ部屋で寝て、おんなじ天井を見あげてると、あのときのおさるさんの気持ちが、わかるような気がする。それはなにものにも代えがたいほどの── 死んでしもうても悔いはないほどの── わしらの命そのものに組み込まれてる喜びやったんじゃ」

 おばあちゃんは布団から、やせ細った手を出し、わたしの手の甲に手のひらをかさねました。おばあちゃんは目を細め、つづけます。

「その喜びに はよう気づき、それに素直にしたがうことじゃ。そうすることが優子の人生を単純にするし、穏やかにするし、豊かなものにするとおばあちゃんは思う。幸せになりなさい、優子」

 

 わたしも今年、中学校に上がりました。

 おばあちゃんは先週、亡くなりました。

 おばあちゃんが言った最期の言葉を、わたしはまだよく理解できません。わかったような気もするのですが、やっぱりまだわかっていないようにも思うのです。

 だけどおばあちゃんのことや、昔、この家にいたというさるのことを、わたしはずっと忘れないと思います。

 

 

 村のやしろの奥に、いまでも〈さる湯〉が残っています。その水はいつまでたっても枯れもせず、濁りもせず、うつくしいままだそうです。

 

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