いつか文章になるその日まで

Blue あなたとわたしの本 248

 

 

いつも文章のことを考えている。

朝、目覚めると、文章のことを考えだす。

文章が書けるから、ベッドから出ようかと思う。

日中も文章のことを考えている。

夜、ベッドの中でも文章のことを考え、

眠りの中でも、文章の新しい技術・表現を思いつくことを願う。

日本語、というのは、まだ完成されていない言語です。

ひらがな・カタカナ・漢字の組み合わせの効果。思想としての句読点。係り受けのさらなる探求。文末のバリエーション。過去・現在・未来、時制の移動。リズム、スピードのコントロール。人称のポシビリティー。無窮文体。

無限の、とてつもない可能性が残されてる。

それらを、追い求めたい。

言葉をさわらせてもらえること。

言葉をつつめること。

言葉をそっと移動させられること。

言語を尊重し、

言語に感謝し、

言語を楽しめること。

文章のことを考え、

言葉をつづれることが嬉しい。

文章作品の新作をまだ生み出せることが、

それをあなたに読んでもらえることが、とても嬉しい。

 

文章が〝なまくら〟にならないように、

食べるものに気をつける。

お酒やタバコは口にしない。

よく歩く。

筋力トレーニングも怠らない。

瞑想する。

 

ここがいったいどこなのかはわからない。

ここがなぜ存在しているのかもわからない。

ここが本当に存在しているのかどうかもわからない。

ただ、自分が文章というものに強く惹かれることは、

わかる。

ならば、その気持ちを信じるしかない。

その気持ちに、正直に生きていくしかない。

その気持ちで、立ち向かうしかない。

文章のために生かさせてもらい、

文章のために死なせてもらう。

文章。文章。文章。 

 

いつか文章の中で、

僕は存在することになる。

僕は文章になる。

文章が僕になる。

いつか文章になるその日まで、

この世界で言葉をつむげることが嬉しい。

生まれてきてよかったなと思う。

あなたと本の中で出逢えたこと。

この世界で出逢えたこと。

あなたに読んでもらえたこと、

あなたと心と心を重ね合わせることができたこと、それが、

嬉しい。

 

すべての文章に命が宿り、

すべてのページが光り輝いている、そんな、

奇跡の書物を僕は残したい。

 

 

いつか文章になるその日まで、

なにがあろうとも、

どんな時代になろうとも、

どれほどの闇が眼前に立ち込めようとも、

この世界で、

文芸に精励したいと思う。

生きていきたいと思う。


今を生きたいと思う。

 

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日々が文章でありたい。

つぶやき Blue 18 

 

 

 雑事があったりして、一行も文章を書けないで終わった日は、一日をムダにした気がする。悲しくなる。 お金になろうがならなかろうが、それも関係ないみたい。とにかく文章を、文章作品をつづっていたい。
 そうすることによって自分を、他者を、楽しませたいんだ。自身も没頭できるし、そして他者に喜んでもらえる可能性も生まれるわけでさ。その可能性が、心に安らぎを与えてくれるんだよ。 誰かを、うん、楽しませたいんだよなぁ。
 だからけっきょく自分は、他者がいてくれるから、今日も生きているわけで。生きていられるわけで。生きていこうと思えるわけで。
 あなたがいてくれて、生きていてくれて、本当にありがとうと言いたいのです。

 あなたは何をやって、誰かを楽しませたいですか? 
 それがうまくいくといいね。僕のことを楽しませてよ。
 あなたと、誰かが、あなたの作り出すものを楽しむといい。
 不安を忘れるといい。傷みがやわらぐといい。
 その瞬間が、きらめくといい。
 あなたは生きています。僕も生きています。

 がんばろうぜ。

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文章の中で生きていられたらそれでいい

つぶやき Blue 8

 

 

 文章って変なものですよね。僕は文章が好きなことは間違いないし、焦がれているとも思うんだけど、「Blue あなたとわたしの本」なんてほとんどが自分自身に向かって書いていることであって、たまたま状況が一致し、自分と似たどこかの誰かが力を得てくれたらうれしいなと思ってるのも事実なんだけど、勇気づけられました、救われましたなんて実際に誰かが言ってくれたりすると、その人を騙してるような気もし、自己嫌悪に陥ったりもする。どうしてだろう? 本当に思ってることを言ってるのに。書いているはずなのに。でもそれが、文章ってものなのかもしれないなぁ。真実でも虚偽でもない。虚偽でもなく真実でもない。そのわずかな間隙かんげきにある何とも言えないもの。それが文章なんだろうか? 多分、そこで僕は生きているし、そこで生きていられたらそれでいいともどうやら思ってる。文章の中で、生きていられたら。虚偽と真実、そして慈しみみたいなものだってきっとある──暗く明るく拡がった──どこでもないその隙間すきまで。

 文章って面白いものですよね。

 

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推敲時のチェックポイント 2018 最新版

Blue あなたとわたしの本 216

  当記事は私自身のために記している「私家版」ですが、どなたかの一助となれば幸いです。

 

  

   
   推敲するときのチェックポイント 

      (小説的な技術も若干含まれています) 

  

◯ 一つひとつの文は短いか? 長めの文章を使うときは意図的に。文章の長短はすべて理由がなければならない。(長い文はイコール〝分かりにくい〟ではない。ではないが、長いが分かりやすい文章を書こうとなると、技術的な難易度は確実に上がる。意図がないのなら、引き締まった短文を心がけるのがやはりベターだろう)

◯ 心地よいリズムが生まれているか? 文章は一文字増えただけで、あるいは減っただけでリズムが変わってしまう。手直ししたら冒頭から読みなおし、流れを整えよう。

◯ 紙面にビジュアル的な美しさがあるか?

◯ 主語と述語が離れすぎていて、意味をつかみにくい文章はないか? 修飾語と被修飾語も同様。分かりづらい文章はこれらが離れている場合が多い。

◯ 主語がなくても成立するのが日本語。不必要な主語ははぶかれているか? 取り除けるがゆえに、主語と述語がかみ合っていない〝ねじれ〟も起こりやすいので注意。主語と述語だけをつなげてみて、おかしくないかチェックしよう。

◯ 同じ言葉をすぐ近くで使っていないか? 類語に置き換えられないか?

◯ 語尾が「です」「ます」、あるいは「る」「た」「だ」、ばかりになっていないか? バリエーションをつけられないか? アクションシーンなどは例外。「た」「た」「た」で迫力が出ることもある。

◯ 体言止めを乱用してはいないか? 体言止めは臭みが出たり、嫌味な感じになるのがほとんど。ただ文末のバリエーションの一つではある。使うときは慎重に、最小限に。これもアクションシーンは例外。

◯ 「また」「そして」「というのも」「だから」など接続詞を使いすぎて文章のスピードが落ちていないか? (接続詞の大半は削れる)

◯ 逆に、スピード感がありすぎて軽くなってはいないか? 

◯ 「たちまち」「やや」「決して」「確かに」など、副詞を乱用してはいないか?

◯ 「少し」「ちょっと」「何かしら」「何か」「何となく」「何だか」「絶対」「まったく」「やっぱり」「これ」「この」「それ」「その」「あれ」「あの」「それから」「まるで」も、はぶけるのではないのか?

◯ に、に、が、が、は、は、などが一文のなかで重なりすぎていないか? (同じ助詞は二つまでに抑えたい)

◯ 「が」という助詞は逆説でも何でもないときでも、が、が、が、と繋げられるだけに要注意。逆説以外は最小限の使用にとどめているか?

◯ 語句の列挙時、「と」「や」などの助詞を挟み込みすぎると幼稚な文章になりやすい。「と」「や」は最初のみ置こう。(今週は、月曜日と火曜日と木曜日と土曜日にブログを更新予定です → 今週は、月曜日と火曜日、木曜日、土曜日にブログを更新予定です)

◯ 形容詞や修飾語が名詞の先に来ていないか? 名詞の後に形容詞の順にできないか? そのほうが分かりやすくはないか? (とても美しい京都の街 → 京都の街はとても美しい)

◯ 修飾語の多すぎる文章は冗長さにつながり、幼い印象を与えやすい。

◯ 名詞には送り仮名がつかないが、動詞の連用形の場合、送り仮名がつく。正しく表記されているか確認しよう。  名詞 世にも奇妙な  動詞 あなたからお話しください

  あとに続く語句に〝その意味〟が含まれているにもかかわらず、つい言葉を重ねてしまうことがあるもの。語句の重複はないか確認し、不必要な言葉ははぶこう。 ● いちばん最初 ● 深く熟考する ● 激しい熱戦 ● 非常に熱望する ● 握った拳 の類。

◯ 「その友人の発言が私を驚かせた」、英文法のような日本語を書いてはいないか? 「友人の発言に驚いた」でいいのではないのか? 「驚いた」も描写で表せないか? 

◯ 「私はコンサートに行くことができるでしょう」、英文法的。「私はコンサートに行くでしょう」で充分。「こと」「もの」は無意識に使いがち。削れることが多い。

◯ 誤字脱字はないか?

◯ 流行語を使ってはいないか? (あっという間に古くなる)

◯ 記号を使いすぎてはいないか? (ちなみに「!」や「?」のあとも文章を続けるときは一文字あけるのがルール)

◯ 少しでも〝あやしい〟と思われる言葉は辞書を引いて意味を確認しているか?

◯ その単語が本当にベストなのか?

◯ 句読点は本当にそこでいいのか?

◯ 段落はそれでいいのか?

◯ 構成はそれがベストなのか?

◯ 説明ではなく、描写できないか? 

◯ 形容詞の代わりに具体的な描写で表現できないか? 「ものすごい爆発音でした」を「ガラス窓が揺れるほどの爆発音でした」などに。

◯ 描写は五感を刺激するものとなっているか? 視覚のみの描写にかたよってはいないか? 音は? 匂いは? 感触は? 味は? 第六感ではどう感じる?

◯ 書き手には何かしら強く惹かれる「シンボル」的なものがあるもの。雨の都会に魅力を感じる人がいたり、夕日に惹かれる人、夏の入道雲、井戸、草原、列車に惹かれる人もいる。そういった自らの「シンボル」を発見し、作中に込めることによって、創作物が生き生きとしてくる。「シンボル」を把握しよう。  

◯ 説明でいいところを、くどくどと描写してはいないか?

◯ 不必要なことを書いてはいないか? 必要なことは書かれているか? 

◯ あってもなくてもいいものは、ないほうがいい。

◯ 当たりまえのことを書いてはいないか?

◯ 冷静に書かれているか? 血は通っているか?

◯ 原稿は数日間、寝かせたか? もっと寝かせてから手を加えたほうがいいのではないか? 

◯ 読まずにはいられない冒頭になっているか?

◯ 余韻の残る結びの一文となっているか?

◯ 原稿に緩急があるか? タメを作ったり、スパートをかけたりしているか?  

◯ もっと削れないか? もっとシンプルにならないか? 

◯ 総体としての作品をより豊かにするために、膨らませたほうがよい箇所はないか?

◯ 独自の表現はあるか? 

◯ 健全な自負心と読者を尊重する想いを忘れてはいないか?

◯ そのときそのとき持ちうる力の全てを注ぎ込んでいるか?

◯ 「楽しい」という気持ちを忘れてはいないか? 文章を書ける喜びに手を合わせているか?

◯ 特定の人を傷つけてしまう可能性のある差別用語を使ってはいないか?

 

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 この記事には私自身の見解も多く含まれていますが、学んできた主な書籍を参考文献として載せておきます。最後までお読みくださり、感謝いたします。ありがとうございました。

【新版】日本語の作文技術 (朝日文庫)

文章を書くこころ―思いを上手に伝えるために (PHP文庫)

文章の書き方 (岩波新書)

新版 文章を書く技術

新しい文章力の教室 苦手を得意に変えるナタリー式トレーニング できるビジネスシリーズ

ワセダ大学小説教室 天気の好い日は小説を書こう (集英社文庫)

 言葉の箱 小説を書くということ (中公文庫)

 

 

 

 

 

 

 

「係り受け」はここまで簡単になる! 僕が使っている推敲技術

エッセイ Blue 22

 

 

 僕は文章を書くのが好きです。それを知ってる友人がね、書きかけの書類を持って家に来ることがあるんです。

「文章を書く必要があっていま推敲してるんだけど、ちょっとまだ分かりづらいんだよな」とか言って。「どこがどう分かりづらいのかは分からないんだけどまだ分かりづらいということだけは分かる」と、非常に分かりづらいことを口にしながら家のなかへ上がってくるわけです。

 僕は文章を推敲するのだけが趣味という変質者みたいな男じゃないですか? 態度では「めんどくせえなぁ」みたいなポーズを装うんですけど、差し出された書面を手にしてどこか舌舐めずりしてる自分がいるわけです。どないやねん、と自分でも思うんですけど。まぁ── ヘンタイとはそういうもんなんでしょうね。どないもこないもならんという。

 ちなみに、「ちょっと見てくんない?」とか言いながら上がり込んでくるヤカラに限って手土産みたいなものは一切 持ってこないんですよね。なんなんでしょうね、あれって。

 まぁ、そういうわけでその「分かりづらい」文章を読ませてもらうとね、なにが分かりづらいって、やっぱり〈係り受け〉なんですよ。係り受けの語順が分かりにくくしているんです。

出た! 係り受け!」と友人はなぜか両腕を広げます。おまえは舞台役者かと思いましたよ。会社員なんですけど。

「係り受け、ってアレだろ?」、顔を近づけてきて指を1本立てます。「この修飾語がこの被修飾語にかかって、この修飾語がまたまたこの被修飾語にかかり── って矢印に次ぐ矢印が例文の横に引きまくってあるアレだろ?」

 ソレだよ。

「アレ見るとさぁ『ヤダヤダ 教科書みたーい!』って俺、叫んじゃうんだよ。思い出しただけでヤダわぁ」

 気持ちは分かる。

 そういう人、たしかに多いと思いますよ。友人はつづけます。

「でも理解はしてるんだぜ。ええっとなんだっけな、〈入れ子構造〉をなくすんだよな。〈入れ子〉ってなんだっけ? あと長いものを遠くに置くんだろ? なにから遠くに置くんだ? そもそも長い、ってなにが長いんだっけ? 理解はしてるんだぜ」

 なにひとつ理解してへんやんけと思いましたよ。

 でもこういう人、多いと思います。なんとなく本で読んだ記憶はあるんだけど、推敲時には使えてない、というね。

 

 
 なので今回の記事では、僕が推敲のときに使っている超簡単な技術を紹介します。

「すでに知ってるし、やってるよ」と言われる方も多いでしょうが、「初めて知った!」という方は目からウロコ だと思いますよ。推敲時の作業もシンプルになるはずです。一生使える便利な技術ですので、最後までお付き合いいただければ嬉しいですね。

 

 
 
 あなたが何かを書かれました。 

 初稿の段階では、いらない言葉がまだたくさんあると思います。それが普通です。一気呵成に書くべきです。初稿の段階から整った文章にしようとしすぎると勢いが削がれてしまいます。

 初稿は混乱していてもいいんですよ。まずは書いてしまいましょう。

 初稿ができたら、

 

あってもなくてもいいものは ないほうがいい

 

 と一言、つぶやいてください。

 そして、いらないなぁと直感が告げる言葉・文章をどんどん削っていきます。「あってもなくてもどっちでもいいよなぁ」と思うと残しちゃう人、多いです。削除するのが忍びないんでしょうね。気持ちはよく分かりますが、バッサリ削ってください。これだけで グッと締まるはずです。(一見 削れそうでも、リズムの関係 で残さなければならない言葉というのもあります)

 

 この作業を終えたら、文章の〈係り受け〉を見ていきます。

 日本語は基本的に語順が自由です。英語などとは全く違います。日本語のユニークな点であると同時に、意味を掴みにくい文章になりやすいのも このあたりに理由があるようにも思えます。

 

 例で見ていきましょう。

 

  サイト「Blue あなたとわたしの本」は僕にとって大切なものです。

 

 という文章があったとします。この場合、「大切なものです」という受ける語句に「サイト『Blue あなたとわたしの本』は」と「僕にとって」という二つの語句が係っています。これが〈係り受け〉です。

 係る語句が複数ある場合── 三つあることも珍しくありません── 長い順から並べると分かりやすくなると言われています。大抵どの本でもこの「長い順」という言い方がされているのですが、「なにがどう長いんだっけ?」と人が言うのを僕は何度か聞いたことがあります。学んだ記憶はあるのだけれど、うろ覚えになっているんでしょうね。

 

 こう覚えてください。

 

 字数の多い係る語句を、受ける語句の遠くに置く。そのあと順に字数の少ない語句を置いていく。

 

字数の多い」という表現が使われている 文章の書きかた本は、僕の知る限りありません。どういう意味だっけ? となりづらいので良いと思うのですが、どうでしょう?

 

 サイト「Blue あなたとわたしの本」は僕にとって大切なものです。

 

 原則通り、長い(字数の多い)順に、係る語句が並んでいます。

 いちど逆にしてみましょう。

 

 僕にとって サイト「Blue あなたとわたしの本」は大切なものです。

 

 係る語句が二つだけなので分かりづらいかもしれませんが、微妙に意味を取りにくくなったと思いませんか? 日本語は語順が自由ですから、字数が多い順という原則を破ってもいいのです。「僕にとって」を前に持ってきて強調したいんだ、という場合もあるでしょう。そういうときはどうするか。

 

 原則を破って逆の並びにする場合、頭に持って来た字数の少ない語句のあとに、読点「、」を打ってください。

 

 僕にとって、サイト「Blue あなたとわたしの本」は大切なものです。

 

 これがいちばん分かりやすいじゃないか! と思われた方もいらっしゃるかもしれませんね。逆順にした場合、文頭一語目に読点「、」を打つと分かりやすくなります。

 僕がプロフィール欄でこちらを採用せず、

 

 サイト「Blue あなたとわたしの本」は僕にとって大切なものです。

 

 という第一の原則通り字数の多い順に並べたのは、「僕にとって、」と強調されすぎるのを避け(前に持ってくると強調されたニュアンスが出ます)、さりげない読み味を選んだからです。

 

 逆順にするときは、最初の語句のあとに読点「、」を打つと分かりやすくなるというのが第二の原則です。

  ただ 一語目のすぐあとに読点「、」を打つと、妙に野暮ったくなることがあります。「また、」「しかし、」「さらに、」などの接続詞、「僕は、」「彼は、」など主語を形成するもののあとに打つときは慎重になるべきでしょう。

 このあたりから書き手の文章センス、文体の領域に入ってきますので、各自の好みも大きいかもしれませんが。

 

 

 覚えておいていただきたいのは、

 

 受ける語句の前に置く係る語句は字数の多い順に並べる。

 

 と、

 

 意図があってこの原則を破るときは、最初の語句のあとに読点「、」を打つと分かりやすくなる。

 

 この二点です。推敲時、係り受けを見直すときはまずこれを意識してみてください。ほとんどの場合、この二つだけでも分かりやすくなります。

 

 
 もう一つ、補足させてください。

 

 係る語句が「を」で終わっている場合、たとえ字数が多くても受ける語句に近づけたほうが分かりやすくなるようです。例をあげましょう。

 

 幻想小説をKindleで読んだ。

 

 原則通り字数の多い順に係る語句が並んでいますが、なんとなくもたついている印象です。最初の語句が「を」で終わっているからです。逆順にして受ける語句に近づけてみましょう。

 

 Kindleで幻想小説を読んだ。

 

 このほうが分かりやすいようです。

 

 もう一つの技術、第一の原則を破るときは文頭の語句のあとに読点「、」を打つ、を使ってみましょう。

 

 Kindleで、幻想小説を読んだ。

 

 これがいちばん分かりやすいようです。

 

 

  
  今回の記事の要点をまとめます。

 

◯ 初稿が書けたら、「あってもなくてもいいものはないほうがいい」とつぶやき、「いらない」と直感が告げる言葉をすべて削る。

 

◯ 受ける語句の遠くに、字数の多い係る語句を置く。そのあと順に、字数の少ない語句を置いていく。

 

◯ 逆順にする場合は、文頭に持ってきた字数の少ない語句のあとに読点「、」を打つ。

 

◯ 係る語句が「を」で終わっている場合は、字数が多くても、受ける語句に近づけたほうが分かりやすくなる。

 

 

 

 推敲時に是非お試しください。今回の記事も僕自身の備忘録をかねて執筆しました。

 どなたかのお役に立てたとしたら、こんな嬉しいことはありません。

 

 最後までお読みくださり、ありがとうございました。

 

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大きな状況から小さな状況へ(いつ・どこで、を先に置く)など、係る語句の語順の原則はまだありますが、今回の記事では割愛いたしました。

 

【追記】ブックマークコメントでご指摘がありました本多勝一さんの名著「日本語の作文技術」はもちろん僕も読んでいます。近年の〝文章の書き方本〟の著者も、みなあの本から多くを学ばれたであろうことは自明のように思われますので、当記事でも明記する必要さえ感じなかったというのが正直なところです。不愉快な思いをされた方には心よりおわび申し上げます。係り受けをもっと深く知りたいと言われる方には、本多勝一著「〈新版〉日本語の作文技術」朝日文庫を推薦いたします。

【新版】日本語の作文技術 (朝日文庫)

【新版】日本語の作文技術 (朝日文庫)

 

 

 


 

 

魅力的な文章とは? 推敲時のチェックポイント

Blue あなたとわたしの本 192

 

  エッセイ Blue 9「魅力的な文章とは? 『Blue〜』的考察」を加筆修正したものです。

 

 

  ほとんどの人にとって、文章を読むのはつらいことだと僕は思うんです。

 結論から言うと、魅力的な文章とは読むのに苦労しなくてもいい文章、ということになります。歯をくいしばらなくても読み進められる文章です。異論はあるかと思いますが、僕にとってはそうです。

 では読み手に努力感を感じさせない文章とは、どういったものなのでしょう? 

 

◯ リズムのある文章

  

 心地よいリズムのある文章だと思います。読んでいて行から行へ、苦もなく飛び移らせてくれる文章です。行と行でブツブツと切れている印象だと、乗ることができません。読み手は「しんどいなぁ」と感じてしまいます。

 極端なことを言えば 内容がたいしてなくても、リズムさえあれば人は読みつづけられます。リズムに乗って読んでいる、そのこと自体が気持ちよくなってくるからです。そのくらいリズムは大切だと感じます。

 

◯ 紙面のさわやかさ

 

 あまりにも漢字が多く、黒々とした紙面だと読む気がなくなります。ひらがなばかりというのも区切りが分かりづらい。リズムにも乗れなくなってきます。

 バランスよく、漢字、ひらがな、カタカナを交えたいものです。

 プリントアウトした紙をすこし離して眺め、紙面にビジュアル的な美しさがあるかを確かめてみるのはどうでしょう?

 

◯ 初稿は〝来る〟まで待つ

 

 初稿は自然に湧きだしてくるまで待ってください。

 僕自身のことになって恐縮ですが、当ブログもいま290回分の投稿があります。「なにかいいことを書いてやろう」「なにか癒しの言葉を書いてやろう」などと思ってパソコンに向かったことは1回もありません。そんなことをしたら〝いやらしいもの〟になるか、どこかで読んだことがあるようなものになるのが落ちでしょう。

 まず先に着想が来ます。それを待ってください。

 散歩をしているときとか、心が傷ついているとき、読書をしているときなんかに僕の場合はよく来ます。音楽を聴いているときにもよく来ます。

 紙と筆記用具を常に持ち歩いているので、すぐに書き写します。すぐに書き取らないと、もう思い出せません。思い出せても、時間が経っていると純度が低い初稿になっています。

 次々と文章が思い浮かぶのが普通ですから、来たらすぐに書き写してください。書き写せば、もう安心です。あとはそれを推敲すればいいのです。

 初稿は〝来るまで待つ〟これが基本だと僕は考えています。

 

 

  

 ここまで三つにまとめましたが、あっさりと二つにしてみましょう。

 読み手に努力感を感じさせない魅力的な文章を書く方法は、

 

◯ 初稿が〝来る〟まで待つ

 

◯ 推敲する

 

 この二つのように思います。

 初稿を受け取ったら、納得のいくまで推敲してください。何度も何度も読み返し、書き直しているうちにリズムも生まれ、紙面もビジュアル的に整ってきます。

 読者は時間をかけて読んでくれます。お金を払っていない場合でも、時間を払ってくれています。時間を払うということは、命を払ってくれているということです。書き手もやれるだけのことをやるのは当然のことでしょう。

 完成したら、「あぁ、これでいいんだな」というカチリ、とした感慨が来ます。その感触が訪れるまで推敲してください。

 書き手の健全な自負心、読者を尊重する想いは、かならず伝わります。

 

 

 最後に、推敲するとき僕が気をつけていることを箇条書きにし、記事を終わりたいと思います。

 誤解のないように申しておきますが、「僕は魅力的な文章が書けている」などと思い上がっているわけではありません。こういった原稿を記してみようという着想がそれこそ〝来た〟から、ノートに書きなぐりました。それを元にブラッシュアップを重ねたのが今回の記事です。備忘録的な意味合いもあります。

 どなたかのお役に立てれば、それはやはりとても嬉しいことです。

 

  

  推敲するときのチェックポイント 

     (小説的な技術も若干含まれています) 

  

◯ 一つひとつの文は短いか? 長めの文章を使うときは意図的に。文章の長短はすべて理由がなければならない。

◯ 心地よいリズムが生まれているか? 文章は一文字増えただけで、あるいは減っただけでリズムが変わってしまう。手直ししたら冒頭から読みなおし、流れを整えよう。

◯ 紙面にビジュアル的な美しさがあるか?

◯ 主語と述語が離れすぎていて、意味をつかみにくい文章はないか? 修飾語と被修飾語も同様。分かりづらい文章はこれらが離れている場合が多い。

◯ 主語がなくても成立するのが日本語。不必要な主語ははぶかれているか? 取り除けるがゆえに、主語と述語がかみ合っていない〝ねじれ〟も起こりやすいので注意。主語と述語だけをつなげてみて、おかしくないかチェックしよう。

◯ 同じ言葉をすぐ近くで使っていないか? 類語に置き換えられないか?

◯ 語尾が「です」「ます」、あるいは「る」「た」「だ」、ばかりになっていないか? バリエーションをつけられないか? アクションシーンなどは例外。「た」「た」「た」で迫力が出ることもある。

◯ 体言止めを乱用してはいないか? 体言止めは臭みが出たり、嫌味な感じになるのがほとんど。ただ文末のバリエーションの一つではある。使うときは慎重に、最小限に。これもアクションシーンは例外。

◯ 「また」「そして」「というのも」「だから」など接続詞を使いすぎて文章のスピードが落ちていないか? (接続詞の大半は削れる)

◯ 逆に、スピード感がありすぎて軽くなってはいないか? 

◯ 「たちまち」「やや」「決して」「確かに」など、副詞を乱用してはいないか?

◯ 「少し」「ちょっと」「何かしら」「何か」「何となく」「何だか」「絶対」「まったく」「やっぱり」「これ」「この」「それ」「その」「あれ」「あの」「それから」「まるで」も、はぶけるのではないのか?

◯ に、に、が、が、は、は、などが一文のなかで重なりすぎていないか? (同じ助詞は二つまでに抑えたい)

◯ 「が」という助詞は逆説でも何でもないときでも、が、が、が、と繋げられるだけに要注意。逆説以外は最小限の使用にとどめているか?

◯ 形容詞や修飾語が名詞の先に来ていないか? 名詞の後に形容詞の順にできないか? そのほうが分かりやすくはないか? (とても美しい京都の街 → 京都の街はとても美しい)

◯ 修飾語の多すぎる文章は冗長さにつながり、幼稚な印象を与えやすい。

◯ 名詞には送り仮名がつかないが、動詞の連用形の場合、送り仮名がつく。正しく表記されているか確認しよう。 名詞 世にも奇妙な  動詞 あなたからお話しください

  あとに続く語句に〝その意味〟が含まれているにもかかわらず、つい言葉を重ねてしまうことがあるもの。語句の重複はないか確認し、不必要な言葉ははぶこう。 ● いちばん最初 ● 深く熟考する ● 激しい熱戦 ● 非常に熱望する ● 握った拳 の類。

◯ 「その友人の発言が私を驚かせた」、英文法のような日本語を書いてはいないか? 「友人の発言に驚いた」でいいのではないのか? 「驚いた」も描写で表せないか? 

◯ 「私はコンサートに行くことができるでしょう」、英文法的。「私はコンサートに行くでしょう」で充分。「こと」「もの」は無意識に使いがち。削れることが多い。

◯ 誤字脱字はないか?

◯ 流行語を使ってはいないか? (あっという間に古くなる)

◯ 記号を使いすぎてはいないか? (ちなみに「!」や「?」のあとも文章を続けるときは一文字あけるのがルール)

◯ 少しでも〝あやしい〟と思われる言葉は辞書を引いて意味を確認しているか?

◯ その単語が本当にベストなのか?

◯ 句読点は本当にそこでいいのか?

◯ 段落はそれでいいのか?

◯ 構成はそれがベストなのか?

◯ 説明ではなく、描写できないか? 

◯ 形容詞の代わりに具体的な描写で表現できないか? 「ものすごい爆発音でした」を「ガラス窓が揺れるほどの爆発音でした」などに。

◯ 描写は五感を刺激するものとなっているか? 視覚のみの描写にかたよってはいないか? 音は? 匂いは? 感触は? 味は? 第六感ではどう感じる?

◯ 書き手には何かしら強く惹かれる「シンボル的」なものがあるもの。雨の都会に魅力を感じる人がいたり、夕日に惹かれる人、夏の入道雲、井戸、草原、列車に惹かれる人もいる。そういった自らの「シンボル」を発見し、作中に込めることによって、創作物が生き生きとしてくる。「シンボル」を把握しよう。  

◯ 説明でいいところを、くどくどと描写してはいないか?

◯ 不必要なことを書いてはいないか? 必要なことは書かれているか? 

◯ あってもなくてもいいものは、ないほうがいい。

◯ 当たりまえのことを書いてはいないか?

◯ 冷静に書かれているか? 血は通っているか?

◯ 原稿は数日間、寝かせたか? もっと寝かせてから手を加えたほうがいいのではないか? 

◯ 読まずにはいられない冒頭になっているか?

◯ 余韻の残る結びの一文となっているか?

◯ 原稿に緩急があるか? タメを作ったり、スパートをかけたりしているか?  

◯ もっと削れないか? もっとシンプルにならないか? 

◯ 総体としての作品をより豊かにするために、膨らませたほうがよい箇所はないか?

◯ 独自の表現はあるか? 

◯ 健全な自負心と読者を尊重する想いを忘れてはいないか?

◯ そのときそのとき持ちうる力の全てを注ぎ込んでいるか?

◯ 特定の人を傷つけてしまう可能性のある差別用語を使ってはいないか?

 

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読み手を引き込む文章を書く、たった一つの方法

エッセイ Blue 18

 

 

 名文、悪文、美文、いろいろあるとは思うのですが、読み手を引き込むことができなければ、そこで終わりです。引き込み、最後まで読んでもらわなければなりません。

 文章を読むのはほとんどの人にとって、しんどいことだと僕は思うんです。つらいことを楽しく行ってもらいたいわけですから、方法が必要となってきます。

 

 読み手を引き込む文章を書く、たった一つの方法

 

 それは、

 

  推敲する、ということです。

   

 ブラッシュアップを徹底的にやるんです。

 これ以外、いかなる魔術もありません。いえ、この地味な作業を繰り返すことによって、魔法としか思えない文章が生み出されるのだと信じています。

 

 ではどういった心構えでやればいいのでしょう?

 

 健全な自負心を持ってです。

 

「ほかでもない私が書くのだから」

「ほかでもない私の作品なのだから」

 

 というものです。

 こういった矜持がなければ、そもそも文章を磨こうという気すら起きないでしょう。2、3回推敲らしきものをして終えるはずです。

 この自負心のなかには、文章を書くのが好きだという想い、ワクワクする喜び、たずさわれることに対する感謝、そういったものも含まれます。

 

 健全な自負心とともに必要となってくるのが、

 

  読者を尊重する想いです。

 

 これが表現として綺麗すぎるなら、

 

 読者をなめない、ということです。

 

 読者を尊重していないと、ことごとくバレてしまいます。

 お金を払ってくださっている場合でも、そうでない場合でも、読み手は時間を払ってくれています。つまり、を払ってくれているのです。

 書き手も、いい加減な気持ちで作品を提出してはいけないのは当然のことでしょう。

  
 人生とは〝いま、この瞬間〟のことだ、という意味のことを僕はよく書きますが、あなたの書いたものを、誰かが読んでくれているとします。その読者の〝いま、この瞬間〟は、あなたの書いたもの、ということになります。人生は常に〝いま・ここ〟です。文章を読むのも〝いま・ここ〟です。一人の人間があなたの書いたものを読んでくれているということは、その人の人生は〝いま、あなたの文章〟です。あなたの文章を読んでいる、ということが、その人の〝人生〟なのです。

 

 この事実を想うとき、僕はいつも身が引き締まります。

 だから、

 

  ◯ 書き手としての健全な自負心

 

  ◯ 読者を尊重する想い

 

 この二つを持って、推敲します。

 この二つを持って文を磨くことによって、文章は透明な輝きを放ってきます。説明のつかない吸引力が生まれるのです。

 完成すると、カチリ、とした感慨が来ます。その感触が訪れるまでブラッシュアップしてください。推敲するときに僕が気をつけている具体的なことは、「推敲時のチェックポイント 2018 最新版」に書きましたので、リンクを貼っておきます。

  



   

 近所に、家庭料理を出す小さなお店があります。

 30代半ばくらいの女性がやられているのですが、なにを食べても美味しいんです。値段も安い。

 昼間は500円のお弁当があるのですが、「この価格でやっていけるのだろうか?」と心配になるくらいのボリュームです。これも美味しい。

 先日、その女性があるお店で豆腐を買われているのを見かけました。僕も何度か買ったことのあるお店です。たいそう風味がいいのですが、値段はスーパーの3倍くらいします。そこの豆腐を、買い求められていました。

 ── スーパーの豆腐でもいいはずなんです。

 でも、スーパーの3倍もする── それでも確かに味は違う── そのお店の豆腐を、買われていました。

〝わたしが作るのだから〟〝わたしのお料理なのだから〟という健全な自負心を、僕はその女性からも感じるのです。食べてくれる人への愛情も感じます。

 この女性は、店でもとても楽しげに働かれています。そこだけスポットライトが当たっているかのようです。

 僕はこのお店で、今後も夕食をいただくでしょう。お弁当も買うでしょう。

 こういったパン屋さんでパンを買い、こういった自転車屋さんに修理をお願いするでしょう。

 仕事が好きで、感謝しながら働いている人のいるお店に。

 健全な自尊心を持ち、お客さんのことも大切にしてくれるお店に。

 

〝健全な自負心〟と〝読者を尊重する想い〟というフレーズだけを聞けば、「綺麗ごとを── 」と思われた方も、ひょっとしたらいらっしゃったかもしれません。ですが、こういったお店の例を思い起こしていただければ、納得されたのではないでしょうか。

 誰だって、自負心と愛情を持って励んでいる人間にお金を渡したいはずです。応援したいはずです。

 文章を書くという行為も、まったく同じだと思うのです。

 

 推敲している過程で、自負心も愛も、喜び、感謝も、すべてが文章に宿っていきます。一文一文が翼を持ち、行から行へ飛び移りはじめます。その快い羽音が読み手に催眠術をかけ、文章世界へ連れ去っていくのです。

 僕はそういう文章や、作品を目指しています。

 もちろんまだ出来てはいません。スタート地点にやっと着けたか、もう少しで着けるか、といったあたりではないかと分析しています。

 でも、それでいいのです。時間はまだあります。

 

  ◯ 書き手としての健全な自負心 

 

  ◯ 読者を尊重する想い 

 

 この二つを忘れることなく、文章の可能性をこれからも探っていきたいと考えています。

  

  

  

    読み手を引き込む文章を書く、たった一つの方法 

  

  それは、心を込めて〝推敲する〟ということ。

 

  

   そう、僕は信じているのです。

 

 

 最後までお読みくださり、ありがとうございました。

 

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魅力的な文章とは? 「Blue〜」的考察

エッセイ Blue 9

 

 

 ほとんどの人にとって、文章を読むのは つらいことだと僕は思うんです。

 結論から言うと、魅力的な文章とは読むのに苦労しなくてもいい文章、ということになります。歯をくいしばらなくても読み進められる文章です。異論はあるかと思いますが、僕にとってはそうです。

 では読み手に努力感を感じさせない文章とは、どういったものなのでしょう? 

 

◯ リズムのある文章

  

 心地よいリズムのある文章だと思います。読んでいて行から行へ、苦もなく飛び移らせてくれる文章です。行と行でブツブツと切れている印象だと、乗ることができません。読み手は「しんどいなぁ」と感じてしまいます。

 極端なことを言えば内容がたいしてなくても、リズムさえあれば人は読みつづけられます。リズムに乗って読んでいる、そのこと自体が気持ちよくなってくるからです。そのくらいリズムは大切だと感じます。

 

◯ 紙面のさわやかさ

 

 あまりにも漢字が多く、黒々とした紙面だと読む気がなくなります。ひらがなばかりというのも区切りが分かりづらい。リズムにも乗れなくなってきます。

 バランスよく、漢字、ひらがな、カタカナを交えたいものです。

 プリントアウトした紙を すこし離して眺め、紙面にビジュアル的な美しさがあるかを確かめてみるのはどうでしょう?

 

◯ 初稿は〝来る〟まで待つ

 

 初稿は自然に湧きだしてくるまで待ってください。

 僕自身のことになって恐縮ですが、当ブログもいま270回分の投稿があります。「なにかいいことを書いてやろう」「なにか癒しの言葉を書いてやろう」などと思ってパソコンに向かったことは1回もありません。そんなことをしたら〝いやらしいもの〟になるか、どこかで読んだことがあるようなものになるのが落ちでしょう。

 まず先に着想が来ます。それを待ってください。

 散歩をしているときとか、心が傷ついているとき、読書をしているときなんかに僕の場合はよく来ます。音楽を聴いているときにもよく来ます。

 紙と筆記用具を常に持ち歩いているので、すぐに書き写します。すぐに書き写さないと、もう思い出せません。思い出せても、時間が経っていると純度が低い初稿になっています。

 次々と文章が思い浮かぶのが普通ですから、来たらすぐに書き写してください。書き写せば、もう安心です。あとはそれを推敲すればいいのです。

 初稿は〝来るまで待つ〟これが基本だと僕は考えています。

 

 

  

 ここまで三つにまとめましたが、あっさりと二つにしてみましょう。

 読み手に努力感を感じさせない、魅力的な文章を書く方法は、

 

◯ 初稿が〝来る〟まで待つ

 

◯ 推敲する

 

 この二つのように思います。

 初稿を受け取ったら、納得のいくまで推敲してください。何度も何度も読み返し、書き直しているうちに、リズムも生まれ、紙面もビジュアル的に整ってきます。

 読者は時間をかけて読んでくれます。お金を払っていない場合でも、時間を払ってくれています。時間を払うということは、命を払ってくれているということです。書き手もやれるだけのことをやるのは当然のことでしょう。

 完成したら、「あぁ、これでいいんだな」というカチリ、とした感慨が来ます。その感触が訪れるまで推敲してください。

 書き手の健全な自負心、読者を尊重する想いは、かならず伝わります。

 

 

 最後に、推敲するとき僕が気をつけていることを箇条書きにし、記事を終わりたいと思います。

 誤解のないように申しておきますが、「僕は魅力的な文章が書けている」などと思い上がっているわけではありません。こういった原稿を記してみようという着想がそれこそ〝来た〟から、ノートに書きなぐりました。それを元にブラッシュアップを重ねたのが今回の記事です。備忘録的な意味合いもあります。

 どなたかのお役に立てれば、それはやはりとても嬉しいことです。

 

  

  推敲するときのチェックポイント 

     (小説的な技術も若干含まれています) 

  

◯ 一つひとつの文章は短いか? 長めの文章を使うときは意図的に。文章の長短はすべて理由がなければならない。

◯ 心地よいリズムが生まれているか? 文章は一文字増えただけで、あるいは減っただけでリズムが変わってしまう。手直ししたら冒頭から読みなおし、流れを整えよう。

◯ 紙面にビジュアル的な美しさがあるか?

◯ 主語と述語が離れすぎていて、意味をつかみにくい文章はないか? 修飾語と被修飾語も同様。分かりづらい文章はこれらが離れている場合が多い。

◯ 主語がなくても成立するのが日本語。不必要な主語ははぶかれているか? 取り除けるがゆえに、主語と述語がかみ合っていない〝ねじれ〟も起こりやすいので注意。主語と述語だけをつなげてみて、おかしくないかチェックしよう。

◯ 同じ言葉をすぐ近くで使っていないか? 類語に置き換えられないか?

◯ 語尾が「です」「ます」、あるいは「る」「た」「だ」、ばかりになっていないか? バリエーションをつけられないか? アクションシーンなどは例外。「た」「た」「た」で迫力が出ることもある。

◯ 体言止めを乱用してはいないか? 体言止めは臭みが出たり、嫌味な感じになるのがほとんど。ただ文末のバリエーションの一つではある。使うときは慎重に、最小限に。これもアクションシーンは例外。

◯ 「また」「そして」「というのも」「だから」など接続詞を使いすぎて文章のスピードが落ちていないか? (接続詞の大半は削れる)

◯ 逆に、スピード感がありすぎて軽くなってはいないか? 

◯ 「たちまち」「やや」「決して」「確かに」など、副詞を乱用してはいないか?

◯ 「少し」「ちょっと」「何かしら」「何か」「何となく」「何だか」「絶対」「まったく」「やっぱり」「これ」「この」「それ」「その」「あれ」「あの」「それから」「まるで」も、はぶけるのではないのか?

◯ に、に、が、が、は、は、などが一文のなかで重なりすぎてはいないか? (同じ助詞は二つまでに抑えたい)

◯ 「が」という助詞は逆説でも何でもないときでも、が、が、が、と繋げられるだけに要注意。逆説以外は最小限の使用にとどめているか?

◯ 形容詞や修飾語が名詞の先に来ていないか? 名詞の後に形容詞の順にできないか? そのほうが分かりやすくはないか? (とても美しい京都の街 → 京都の街はとても美しい)

◯ 修飾語の多すぎる文章は冗長さにつながり、幼稚な印象を与えやすい。

◯ 「その友人の発言が私を驚かせた」、英文法のような日本語を書いてはいないか? 「友人の発言に驚いた」でいいのではないのか? 「驚いた」も描写で表せないか? 

◯ 「私はコンサートに行くことができるでしょう」、英文法的。「私はコンサートに行くでしょう」で十分。「こと」「もの」は無意識に使いがち。削れることがほとんど。

◯ 誤字脱字はないか?

◯ 流行語を使ってはいないか? (あっという間に古くなる)

◯ 記号を使いすぎてはいないか? (ちなみに「!」や「?」のあとも文章を続けるときは一文字あけるのがルール)

◯ 少しでも〝あやしい〟と思われる言葉は辞書を引いて意味を確認しているか?

◯ その単語が本当にベストなのか?

◯ 句読点は本当にそこでいいのか?

◯ 段落はそれでいいのか?

◯ 構成はそれがベストなのか?

◯ 説明ではなく、描写できないか? 

◯ 形容詞の代わりに具体的な描写で表現できないか? 「ものすごい爆発音でした」を「ガラス窓が揺れるほどの爆発音でした」などに。

◯ 描写は五感を刺激するものとなっているか? 視覚のみの描写にかたよってはいないか? 音は? 匂いは? 感触は? 味は? 第六感ではどう感じる? 

◯ 説明でいいところを、くどくどと描写してはいないか?

◯ 不必要なことを書いてはいないか? 必要なことは書かれているか? 

◯ あってもなくてもいいものは、ないほうがいい。

◯ 当たりまえのことを書いてはいないか?

◯ 冷静に書かれているか? 血は通っているか?

◯ 原稿は数日間、寝かせたか? もっと寝かせてから手を加えたほうがいいのではないか? 

◯ 読まずにはいられない冒頭になっているか?

◯ 余韻の残る結びの一文となっているか?

◯ 原稿に緩急があるか? タメを作ったり、スパートをかけたりしているか?  

◯ もっと削れないか? もっとシンプルにならないか? 

◯ 独自の表現はあるか? 

◯ 健全な自負心と読者を尊重する想いを忘れてはいないか?

◯ そのときそのとき持ちうる力の全てを注ぎ込んでいるか?

◯ 特定の人を傷つけてしまう可能性のある言葉を使ってはいないか? 

 

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